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名古屋高等裁判所 昭和38年(う)437号 判決

被告人 青保雄 外四名

主文

原判決中、被告人青保雄に関する部分を破棄する。

被告人青保雄を禁錮二年に処する。

被告人青保雄に対し、本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予する。

被告人水野幹夫の本件控訴、および被告人別所力、同四ツ谷準之助、同杉山静雄に関する検察官の本件各控訴は、いずれもこれを棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人青保雄、同水野幹夫の両名の関係につき、同被告人両名の弁護人伊藤嘉信、同横井孚一、同世古件逸郎、同相沢登喜男、同大塚育子共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、被告人別所力、同四ツ谷準之助、同杉山静雄の関係につき、津地方検察庁検察官検事荒井健吉作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、また検察官の右控訴趣意に対する答弁は、被告人別所力、同四ツ谷準之助、同杉山静雄の三名の弁護人鈴木新吉、同沢村英雄、同足立梅市、同西村美樹共同作成名義の答弁書記載のとおりであるから、ここに、これらを引用する。

一、被告人青保雄、同水野幹夫の両名の右弁護人らの控訴趣意第一の論旨について。

(一)  所論は、要するに、原判決は、その第八「罪となるべき事実」の欄において、

「一、1被告人青は、昭和三一年一〇月一五日、名古屋発、鳥羽行の下り第二四三快速列車(以下二四三列車と略称)を運転し、六軒駅に入駅するに際し、同列車の本務機関車の機関士として、同駅の各信号機の信号現示を注視し、下り通過信号機が注意信号、下り出発信号機が停止信号を、それぞれ現示しているときには、同駅所定の位置に停車の措置をとるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、下り遠方信号機の進行信号を確認した後、同信号機外方五〇米附近の地点を進行の際、同地点からは下り場内、通過両信号機の現示を確認することができたのであるから、これを注視すれば、その信号現示は、六軒駅停車を指示するものであることが明らかであるにもかかわらず、これが確認、注視を怠り、本来同列車は同駅通過列車であるところから、信号機は進行信号を現示しているものと速断し、停車措置をとることなく、時速六〇粁位の速度で同駅を通過しようとして、同駅中心附近通過直後、下り出発信号機が停止信号を現示していることを確認して、急拠非常制動措置をとつた。

2 被告人水野は、同列車の本務機関車の機関助士として、六軒駅に入駅するに際し、機関助士は、機関士と共に、同駅の各信号機の信号現示を確認し、下り通過信号機が注意信号、下り出発信号機が停止信号を、それぞれ現示しているときは、これを確認して、列車を停車せしめなければならないときに、機関士がこれに対する措置をしないか、または右の信号機の信号現示を見誤つているおそれがあると認められるときは、直ちに、機関士に、その旨を警告するか、その余裕のないときは、直ちに、自ら列車の停止措置をとらなければならない業務上の注意義務があるにもかかわらず、同駅下り場内信号機および通過信号機の信号現示の確認を怠り、被告人青と、『通過進行』と形式的な喚呼応答をしたのみで、焚火作業、通票受渡の準備作業に従事し、同駅中心附近を通過後はじめて、出発信号機が停止信号を現示していることに気付き、急拠、その旨を被告人青に対して警告した。

3 赤塚武において、同列車の補助機関車の機関士として、同列車を運転して六軒駅に入駅するに際し、本務機関士同様、信号現示を注視し、本務機関士において、信号現示を見誤つたため、列車の停止措置をとらない場合においては、直ちに、本務機関士に汽笛合図によつて警告して、制動措置をとらしめるか、あるいは、自ら重連コツクを開いて、非常制動の措置をとるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、補助機関車機関助士千種一郎の投炭作業が未熟なところから、機関士席を離れ、自ら投炭する等、同人の作業を指揮していたため、場内および通過信号機の信号現示の確認注視を怠り、あまつさえ、同駅を通過すべく、給気運転に移り、被告人青同様、同駅中心附近通過後、下り出発信号機が停止信号を現示していることに気付き、狼狽して、重連コツクを開いて制動措置をとることなく、単に自動制動弁による停車措置を講じ、

二、右の被告人青、同水野、赤塚武の過失が競合し、被告人青において、前記の如く非常制動の措置をとつたが及ばず、昭和三一年一〇月一五日一八時二二分頃、二四三列車の機関車二両を、六軒駅下り安全側線車止土砂盛を突破して、同駅々舎中心より南方二九三米位の地点の下り安全側線築堤東側に脱線顛覆せしめ、かつ同列車一両目客車の前部が進行方向に向つて右側に振つたため、同駅々舎中心より南方二六六米位の地点において、本線を支障するに至らしめて、上り列車の往来に危険を生ぜしめ、因て二四三列車の補助機関車機関助士千種一郎を全身火傷により、その場で即死させ、および二四三列車客車前から二両目に乗車していた野堀英治に対して全治二〇日を要する頭部打撲傷を負わせ、更に、その後、間もなく進行してきた鳥羽発名古屋行の上り第二四六快速列車(以下二四六列車と略称)を、右二四三列車一両目客車と接触させ、二四六列車の機関車二両を脱線顛覆させたうえ、右二四三列車一両目客車を破壊、押潰して、同列車の一両目客車に乗車していた安野吉雄をその場で窒息死させた外、原判決書末尾添付の別紙甲(一)死亡者一覧表記載の如く四〇名を死に至らしめ、更に、同客車に乗車していた繩手瑞穂に対し全治五ヶ月半を超える顔面、両手、背部、右下肢、左下腿火傷、拇指挫傷の傷害を負わせた外、原判決書末尾添付の別紙甲(二)負傷者一覧表記載の如く、六四名に対して傷害を負わせたものである」

旨認定している。

然しながら、被告人青、同水野の両名は、原判示の信号機の信号現示は十分に注視しており、原判決にいう「下り遠方信号機の進行信号を確認した後、同信号機外方五〇米附近の地点」を進行する際、同地点から下り場内、通過両信号機の現示を確認したところ、その信号は六軒駅通過を指示するもの(共に青)であつたので、停車の措置をとることなく通過したのである。即ち被告人青は、六軒駅入駅に際し、惰力で進行し、月本踏切で確認汽笛を吹鳴し、六軒駅下り遠方信号機の進行信号(青)を確認し、被告人水野と喚呼応答を行い、その後、遠方信号機手前約五、六〇米の地点で、場内信号機および通過信号機確認の短急汽笛吹鳴を行い、右両信号機の進行信号(青)を確認し、喚呼応答を行い、右信号機を注視しつつ進行して、下り場内信号機の手前五〇米の地点で、下り出発信号機の進行現示を確認したのであるが、日本国有鉄道総裁達昭和三一年八月一〇日現在の「運転取扱心得」(以下単に「運心」と略称)三四三条にいわゆる下り出発信号機の喚呼応答の地点である最遠ポイント(二一号ポイント)の地点まできて、これらの行為に移ろうとしたとき、突如として、黒煙が前方を遮り、下り出発信号機の信号現示を確認することができなかつたが、これ以前に、出発信号機の青であることは確認しているので、何らの不安もなく運転を続け、出発信号機が確認できたとき、喚呼応答すべく努力してきた。ところが駅中央附近にさしかかつた際、ようやく黒煙がうすれ、見通し可能となるや、突如として、前方に出発信号機が停止信号(赤)を現示しているのを認めたので、直ちに非常制動の措置をなしたものである。

また被告人水野は、月本踏切附近で六軒駅下り遠方信号機の進行信号(青)を確認し、喚呼応答を行い、その後、場内信号機および通過信号機の進行信号(青)を確認し、喚呼応答した。更に遠方信号機手前で、投炭に移る前に、出発信号機の進行信号(青)を確認し、投炭終了後、場内信号機の手前二〇〇米から一五〇米位の所で、再び通過信号機の進行信号(青)を認めたが、運心三四三条にいわゆる出発信号機の喚呼応答地点である最遠ポイント(二一号ポイント)では、被告人青と同様、黒煙のため、その信号現示を再確認することはできなかつた。然し、通票の授受作業もあり、煙をよけて確認位置を変えて見ることもできなかつたので、通票授受作業に専念しながら、出発信号機の再確認、喚呼応答の機会を捕えるよう努力していたが、通票を受柱にかけ、同時に前方を見ると、黒煙がうすれ、ようやく見通し可能となり、出発信号機が赤となつていたので、急拠、被告人青に警告したのである。このように、下り出発信号機の従属信号機である下り通過信号機が従つて、その主信号機である下り出発信号機が、二四三列車が下り遠方信号機外方五〇米附近の地点から、下り場内、通過信号機手前五〇米の地点にいたるまで、進行信号(青)を現示しており、同列車が六軒駅中央附近にさしかかつたとき、下り出発信号機が停止信号に変えられていたということは、本件当時の日本国有鉄道天王寺鉄道管理局(以下天鉄局と略称)列車指令村井一夫の運転整理計画ならびに各駅に対する行き違い変更のための運転指令が遅れ、六軒駅において、いわゆる信号の間際転換が行なわれたのではないかとの疑を生ずるに十分である。たしかに、被告人青、同水野の両名は、下り場内、通過両信号機の約五〇米手前から駅中央附近まで、黒煙のため、下り出発信号機を注視確認できなかつたけれども、機関士、機関助士には、入駅に際し、まじろぎもせず、継続的に、ひたすら信号を見守る注意義務が課せられているわけではない。けだし、入駅に際しての、わずか数秒の限られた時間内に、機関士は、採時、減速、踏切注視、通票を渡す用意等の、機関助士は、蒸気の圧力、ボイラーの圧力、ボイラー水の点検等の非常に多くの仕事をせねばならず、従つて、たえず信号のみを注視していることは、とうてい不可能である。然も本件において、右被告人両名は、故意に信号を注視しなかつたわけではなく、所定の出発信号機確認地点では、確認汽笛を吹鳴して、機関士、機関助士確認態勢に入つたのであるが、前記の如く突然機関車の前窓から黒煙が入つてきたため、下り出発信号を再確認することができなかつたのである。信号機の確認地点とは、あくまでも一つの標準に過ぎず、この地点で確認をしなかつたから、確認の効果がないということではない。前記の如く黒煙が入つてくる直前に、信号が青であることを確認した以上、それが突如赤に変ることはありえない関係にあるのであるから、右被告人両名は、安心して運転していたのであつて、このような事情を信用して、列車を走らせることは、機関士、機関助士にとつて、いわゆる交通の安全に関する信頼の原則上、当然に許されるところといわなければならない。また当時風のため、煙が前方の見通しを妨げるという自然現象を、右被告人両名は知る由もなかつたのである。これを要するに、右被告人両名は、信号現示確認義務を十分に果しているのであつて、原判決のいう如き、右確認義務の違反は存しない。この点で、原判決は事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つている、というのである。

(二)  そこで、記録を調べ、当審においてなした事実取調の結果をも総合して検討すると、原判決が認定した各事実(ただし後記の検察官の控訴趣意に対する判断において示した当裁判所の認定とそごする部分は除く)は、所論指摘の点も含めて、原判決挙示の関係証拠(ただし後記の如く信用しない部分を除く)によつて、これを認めるに十分である。即ち右の各関係証拠によれば、

(1)  本件当日である昭和三一年一〇月一五日が伊勢神宮大祭に当つていたため、参宮線は列車に遅延を生じ、同ダイヤが乱れたので、この乱れを最小限度に止めるべく、当時の天鉄局列車指令村井一夫は、「二四三列車が、これに先行する下り四二一列車を、所定の松阪駅で追い越しすることを、阿漕駅で追い越すことに、また松阪駅で行き違う右二四三列車と二四六列車との所定の行き違い駅を六軒駅に変更すること」等の列車運転整理計画を立て、同日一七時四五分頃、津駅山中助役に対し、「二四三列車遅延のため、下り四二一列車は阿漕駅に待避し、二四三列車は阿漕駅で下り四二一列車を追い越す」という趣旨、

同日一七時四七分頃、同阿漕駅中井助役に対し、「下り四二一列車は、阿漕駅に待避して、二四三列車がこれを追い越す。下り四二一列車と二四六列車は、高茶屋駅で行き違いすること。右各事項を高茶屋駅に連絡せよ。」という趣旨、

同日一七時五三分頃、六軒駅助役被告人別所に対し、「二四三列車は遅れているので、二四三列車と二四六列車は、六軒駅で行き違いのこと。なお、二四三列車が二四六列車より少し早く着くかも知れない。二四三列車と上り一四六四列車は松阪駅で行き違いのこと。下り四二一列車と上り一四六四列車は六軒駅で行き違いのこと。下り四二一列車と二四六列車は高茶屋駅で行き違いのこと。」という趣旨、

同日一七時五五分頃、松阪駅沢木運転掛に対し、「二四三列車遅延のため、二四三列車と二四六列車は、六軒駅で行き違いに変更。二四三列車と上り一四六四列車は松阪駅行き違いのこと。」という趣旨の各指令を、それぞれ電話で通知したこと。

(2)  被告人別所は、右指令を受領して、直ちに、六軒駅事務室において、これを井田忠生駅手、同駅駅務掛被告人四ツ谷、同駅転轍手被告人杉山に対し、それぞれ伝達するとともに、高茶屋駅島垣助役、次いで松阪駅沢木運転掛との間に、それぞれ、右二四三列車と二四六列車が六軒駅で行き違うことに変更された件に関し、連絡をとり、その打合せを遂げたところ、その後、同日一八時五分頃、高茶屋駅島垣助役から、「二四三列車閉そく、二四三列車は一一分延」との通知を受け、その直後、松阪駅沢木運転掛から、「二四六列車閉そく」との通知を受けたので、これに対し、被告人別所は「二四六列車閉そく、折返し二四三列車閉そく」と回答した。更に被告人別所は、右高茶屋、松阪の両駅から前記の如き閉そく通知を受け、二四三列車が二四六列車より早く六軒駅に到着することを知つたが、その時間的間隔(以下時隔と略称)が極めて僅少であることも明らかであつたから、右両列車の行き違い方法については、両列車共、六軒駅停車場内に臨時停車(以下臨停と略称)させることに決し、直ちに、自ら六軒駅信号扱所に赴き、上下両線における出発、通過の両信号機を、従前どおり前者は停止、後者は注意の信号のままとし、上下両線における場内、遠方の両信号機を、従前の停止および注意の信号から、いずれも進行信号にし、右両列車を六軒駅停車場内に臨停させる信号現示をした。その後一八時一七分頃、高茶屋駅島垣助役から、被告人別所に対し、二四三列車が一一分延で高茶屋駅を通過した旨、その直後、松阪駅西川信号掛から、同被告人に対し、二四六列車が定時発車した旨の各通知があつた。そこで同被告人は、被告人杉山、同四ツ谷、井田駅手を、それぞれ、その担当配置に就かしめるため、先ず井田駅手を六軒駅構内所在の二一号ポイントに、被告人杉山を前同駅構内所在の二六号ポイントに配置し、これに応じ、右両名はそれぞれ各自の勤務位置に赴き、次いで被告人別所と同四ツ谷の両名は右駅事務室を出て、被告人四ツ谷は、前記両列車が停車した際、その上下両線における各出発信号機を進行信号に切り替える等の操作方を命ぜられ、右駅構内所在の信号扱所前の勤務位置に配置され、被告人別所は、右二四三列車の本務機関助士である被告人水野から、通票を受け取るため、右駅構内所在下りホーム北端より約一四米南の地点に立ち、かくして、右四名は、それぞれ右両列車の行き違いに対処する態勢を整え、その入駅を待機していたこと、

(3)  本件当時、六軒駅の上下両線における各信号機、転轍器等の保安施設等に異常、あるいは故障等が全くなく、従つて同駅上下両線における各信号機には、その機械的故障により、異常な信号現示を呈する事情が全く存しなかつたこと、

(4)  本件当時、前記の如く六軒駅職員であつた被告人別所、同四ツ谷、同杉山、井田は、いずれも右(2)に認定した如く、それぞれ、その勤務位置に就くに当つて、上下両線における各出発信号機、通過信号機がそれぞれ定位(前者は停止現示で赤、後者は注意現示で橙黄)、各場内信号機、遠方信号機がそれぞれ反位(進行現示で青)になつていたことを、前記二四三列車が同駅に進入して来る四、五分前に確認しており、また本件当日、娘を出迎えるため、六軒駅改札口に居合わせた、同駅直近に居住する主婦井面きく子および同日一七時五八分発下り四二一列車で、松阪市に赴くため、六軒駅下りホームに出ていた主婦中村うた子の両名も、前記二四三列車が同駅に進入する数分前に、下り出発信号機が停止信号を現示していたことを目撃していたこと、

(5)  前記二四六列車の本務機関助士岡村信夫および同列車補助機関車機関士浦田正治は、いずれも、本件事故直前、同列車が六軒駅構内に進入するに先立ち、近鉄ガードを過ぎた辺りで、上り線における遠方信号機が、その後、同遠方信号機手前で、上り線における場内信号機が、それぞれ進行信号(青)を現示していたことを確認していた。そして、その当時六軒駅における各信号機および転轍器相互の鎖錠に関する機構上、上り線における遠方、場内の両信号機が進行信号である場合、二六号ポイントは定位に固定され、ひいては下り線における出発、通過の両信号機も停止および注意信号に固定されるに至り、これを進行信号に転ずることは、機械的に不可能であつたから、本件事故当時、下り線における出発、通過の両信号機が、それぞれ停止および注意信号(前者は赤、後者は橙黄)を現示していたことは明らかであること

の各事実が認められ、該各認定事実を総合すると、前記二四三列車が、遅くも下り線における遠方信号機の五〇米外方を通過する頃から、六軒駅構内に進入し、同駅中央附近を通過して、下り安全側線に突入するまでの間、下り線における通過、出発の両信号機は、それぞれ注意および停止信号(前者は橙黄、後者は赤)を現示していたことは疑を容れない。

(三)(1)  原審第六五回公判調書中、被告人青、同水野の両名の各供述記載、および昭和三六年二月七日施行の原審検証調書中右被告人両名の各指示説明に関する記載中には、それぞれ同被告人両名の供述または指示説明として、「本件当時、六軒駅下り線における通過、場内の各信号機の各信号現示を、右下り線における遠方信号機の手前五、六〇米の地点で確認したところ、両方とも進行信号(青)であつたので、喚呼応答した。その後右場内信号機外方五〇米の地点で、下り線における出発信号機が進行信号(青)の現示であることを見たが、そこでは喚呼応答をしなかつた。下り線における出発信号機の所定確認地点は、最遠ポイントである二一号ポイントであるが、本件事故当時、その二一号ポイントで汽笛一声し、出発信号機を見ようとしたが、煙で確認できなかつた。私は、いつか見えるだろうと思つて、そのまま進行して行き、通票を受器に掛けた後、右出発信号機を見たところ、その信号現示が赤色になつていた」旨の所論にそう各部分が存する。

然しながら、同所論にそう右の各供述記載部分および各指示説明に関する記載部分は、いずれも、前記(二)の(1)ないし(5)の各認定事実に照らし、とうてい信用しがたいところであるのみならず、原審第二回公判調書中、被告人青、同水野の各供述記載として、「本件事故当時、六軒駅の下り線における遠方信号機外方五〇米附近および、その後も前同下り線における場内、通過の各信号を時々確認したところ、その各現示が進行信号(青)であつたため、同駅を通過しようとし、同駅舎中央附近を通過直後、右下り線における出発信号機が停止信号(赤)を現示していることを発見し、急拠、非常制動をかけた」旨の部分があり、これによれば、右被告人両名は、六軒駅駅舎中央附近に至るまで、右下り線における通過、場内の各信号機の進行現示を確認したに過ぎないことを供述しているに止まり、右下り線における出発信号機の進行現示を確認したこと、および二一号ポイント附近で黒煙のため出発信号機が確認できなかつたことを、いずれも供述していないのであつて、被告人青、同水野の両名の原審公判廷における供述自体が前後一貫していないのである。

更に被告人青は、同被告人の昭和三一年一〇月二四日付検察官調書中において、「六軒駅の下り線における遠方信号機北方五、六〇米の地点で、同遠方信号機と同時に場内、通過の両信号機の信号現示が、いずれも青色灯のように思われた。つまり青色灯が二個並んでいるように思われたのだが、判然、青色灯二個を見たわけではない。本来通過、場内の両信号機については、その各信号現示を確認後、同各信号機の手前まで、これを注視すべき義務があるが、煙が流れていたこと、六〇粁位に速度を落すべく少し制動をかけたこと、列車の遅延回復で精神的な焦りがあり、速度計や時計を見たりして、その注意義務を怠つて、右の場内、通過の両信号機を通過してしまつた。また下り線における出発信号機は、通常、該当の場内信号機附近の見易い所で確認し、注視して進行すべきだが、その時は遅延時間の回復に気を取られて、時計を見たりし、また右の通過、場内の両信号機が青色であつたと思われたことが、頭にこびりついていたので、右出発信号機も青色と思い込み、同出発信号機を確認せず、進行していた」旨供述し、被告人水野は、同被告人の昭和三一年一〇月二五日付検察官調書中において、「六軒駅の下り線における遠方信号機の手前五〇〇米位で、同遠方信号機を確認したが、その際、同下り線における通過、場内の両信号機を漠然と見たところ、その二つ共、青のように思われただけで、確認はできなかつた。右の通過、場内の両信号機の外方一五〇米から二〇〇米位で見たときも、右場内信号機が青であることは分つたが、その場内信号機の下に着いていた右通過信号機の信号現示は判然確認できなかつた。私は、右の遠方信号機を確認したとき、漠然と前記の通過、場内の両信号の信号現示が青だろうと思つたのと、二四三列車は六軒駅通過と思つていたので、右通過信号機の信号現示につき喚呼応答の際、青色であろうと思つて、『進行』と応答したが、右通過信号機の信号現示を確認していないので、多少遠慮し、声も小さかつたかも知れない。右の通過、場内の両信号機附近を通つてから、適度一声を鳴らしたが、煙の加減で、前記出発信号機の信号現示を確認できなかつたので、喚呼応答をしていない。そういうわけで、右出発信号機の信号現示が赤と気付いたときは、すでに遅かつたのである」旨供述し、前記二四三列車補助機関車機関士赤塚武は、同人の昭和三一年一〇月二一日付検察官調書において、「私は六軒駅通過に際し、下り線における遠方信号機を、同信号機外方八〇〇米位の地点で確認した。然しそのとき、右下り線における通過、場内の両信号機の各信号現示は確認していないし、その後、六軒駅駅舎附近で、右下り線における出発信号機の赤色信号を見るまで、右通過、場内の両信号機の各信号現示も右出発信号機の信号現示も全然確認しなかつた。私は、この事故で、車外に這い出し、右駅舎に行き、下りホームに出ると、被告人青に会つたので、同人に右通過信号機の現示状況につき尋ねると、同人が『確かに青色だったがなあ』といい、その調子は余り自信がないようなことであり、被告人青自身、右通過信号機の信号現示を確認していないようであつた。同被告人は、数回この言葉を繰り返した後、『然し、こうなつたら仕方がないので、青色ということで押し通そうや』といつていた。その後、被告人水野も加わり、三人で上りホーム反対側の田圃にかがんだ。ここでも右通過信号機の信号現示につき、話が出たが、被告人水野も『青だつたがなあ』という程度で、非常にあいまいな態度だった。そこで、私は『そんなことをいつても、今更通らないから、通過信号が青色だったので入つたのだということにしなければ、しようがないやないか』といい、結局他人に聞かれた場合には、このように話を合わせていうことにした」旨供述していて、被告人青、同水野、赤塚は、いずれも、その検察官に対する供述調書中において、本件事故当時、前記二四三列車を運転して、六軒駅に進入するに先立ち、下り線における通過信号機を十分確認せず、また下り線における出発信号機も全然これを確認していなかつたことを自認しているのである。

右の諸点から考えても、所論にそう旨の被告人青、同水野の両名の前記各供述記載は、いずれも信用できない。

(2)  所論は、原審第四五回公判調書中の証人市場寛一の供述記載中「二四三列車に乗車して、六軒駅に入駅するに際し、同駅のほぼ二、三〇〇米手前で、同列車の窓から上下二つの信号灯が共に鮮かな青を示していた」旨の部分を援用して、右二四三列車が、六軒駅の下り線における遠方信号機外方五〇米附近の地点から、右下り線における場内、通過の各信号機手前五〇米の地点に至るまでの間、右下り線における通過信号機が進行信号を現示していたことの証左であると主張する。

然しながら、右証人市場寛一の前記供述記載によれば、同人は右六軒駅に入駅する当時、飲酒のため、かなり酩酊していたこと、同人が本件につき、証人になろうと考えた動機、経過に関しても、不自然な点が窺われること、同人が本件事故当時、座乗していた前記二四三列車における位置に関する供述部分が、右列車に前記市場寛一と同席していた原田栄一の原審第一二回公判における関係部分の供述とそごしていること等に徴し、証人市場寛一の所論供述記載部分は不正確で、信用しがたく、採用に値しない。

(3)  所論は、原審第四四回公判調書中の証人尾崎幸生、同生駒かずの各供述記載を援用して、「本件事故で死亡した二四六列車の本務機関士尾崎清春が、本件事故当時、六軒駅の上り線における遠方信号機を見たとき、同信号機は注意信号(橙黄)だつたので、当然場内信号機の手前で止まらなければならないと思つたが、それから数十米来て、上り線における場内、通過の両信号機を見ると、これは進行信号(青)だつたので、信号機の構造上、おかしいと思つたけれども、その信号に従つて、そのまま運転を続けて進入し、右場内信号機を通過したところ、その時は、既に遅く、二四三列車と衝突した」事実が認められ、このことから信号機相互ならびに信号機とポイントとの間の機械的関連上、右尾崎機関士が目撃したとき、上り線における遠方信号機が注意信号(従つて上り線における場内信号機は停止信号)を現示していたのに対応して、被告人青、同水野の両名が六軒駅内の下り線における出発信号機を目撃したとき、同信号機は進行信号(青)を現示していたことが窺われ、その後、前記二四六列車が進行中、突如として、六軒駅内の上り線における場内信号機が、進行信号(青)を現示するに至つたということは、その間に何らかの操作が行われたこと、即ち被告人青、同水野の両名の原審公判廷における供述どおり、前記二四三列車が、六軒駅内の下り線における場内、通過の両信号機附近に来るまでは、右各信号機は、それぞれ進行信号(青)を現示しており、同列車が六軒駅中央附近に来るまでの間に、突然、同駅の下り線における出発信号機の信号現示が停止信号(赤)に変えられていたことを裏付けるものである旨を主張する。

然しながら、所論の証人尾崎幸生、同生駒かずの所論各供述記載は、前記尾崎清春機関士が、その生前、病床において、息子である右尾崎幸生および妹である右生駒かずに対し語つたことの伝聞であるのみならず、その各供述記載の内容自体があいまいであつて、これらにより、必ずしも、所論事実を認定できるものと解し難く、然も前記(二)の(5)において認定した如く、本件事故当時の前記二四六列車の本務機関助士岡村信夫および同列車補助機関車機関士浦田正治は、いずれも本件事故直前、同列車が六軒駅構内に入駅するに先立ち、近鉄ガードを過ぎた辺りで、上り線における遠方信号機が、その後、同遠方信号機手前で、上り線における場内信号機が、それぞれ進行信号(青)を現示していたことを確認しているのであつて、右の諸点から考えて、所論の証人尾崎幸生、同生駒かずの所論各供述記載は証明力に乏しいものといわざるを得ない。なお当審における証人尾崎幸生の証言、および当審第一二回公判において提出された尾崎幸生および生駒かずの録音テープを以てしても、右認定を左右するには足りず、所論は採用できない。

(4)  所論は、右(三)の(1)、(2)、(3)の各主張事実に加えて、本件事故当時、松阪駅の前記沢木運転掛が慌てた事実、同駅の石井駅手が走つて通票を前記二四六列車の機関士に渡した事実、運転整理メモが規定に違反して作成されず、然も本件における運転整理の指令の送信者、受信者間で、証言が非常にくい違うこと、六軒駅における下りホームに前記二四三列車のため通票受器が出してあつたことの各事実に基づき、天鉄局列車指令村井一夫の運転整理計画ならびに各駅に対する行き違い変更のための運転指令が遅れ、本件事故当時、六軒駅において、いわゆる信号の間際転換が行なわれたのではないかとの疑を生ずるに十分であると主張する。

然しながら、右主張が理由がないことは、前記(二)の(1)から(5)において認定した各事実および前記(三)の(1)から(3)において判断した各事項からも明らかであるが、更に、以下に述べる諸点から考えても、右所論はとうてい成立し得ない。

即ち、

(イ) 被告人青、同水野の両名の前記原審公判調書における各供述記載によれば、「同被告人らは、本件事故当時、六軒駅の下り線における場内信号機の約五〇米手前で、最終的に、同下り線における出発信号機の信号現示が青色であることを確認し、同駅中心附近に来たときに、同信号機を見たところ、同信号現示が赤色になつていた」というのであるから、仮に、所論の如く六軒駅において、信号の間際転換が行なわれたとすれば、それは、前記二四三列車が右区間、即ち前同駅の下り線における場内信号機手前約五〇米の地点から同駅中心附近に至るまでの間のことであり、原判決書末尾添付の第一図によれば、前記二四三列車が約四〇〇米の間を走行する時間内であるはずである。そして原判示の如く被告人青は、その際、同駅を通過するつもりで、時速約六〇粁で、同駅に進入したのであるから、秒速一六・七米として、右二四三列車が前記区間を走行するための所要時間は約二四秒である。換言すれば、被告人別所等駅側職員が、所論の如き信号の間際転換に充当し得た時間は、最大限約二四秒であつたということになる。

そして、昭和三六年二月八日施行の原審検証調書中の記載によれば、六軒駅における信号機操作者と前掲二六号ポイントの転轍手が、相互に予め十分打ち合せたうえで、所論の如き信号の間際転換を行なつた場合でも、最少限一六秒ないし一七秒を要するのであるから、本件の場合において、所論の如き信号の間際転換に着手するまでに、最大限七秒ないし八秒の余裕しか存しないことになる。このような緊迫した時間内に、所論の如き危険な信号の間際転換を、然も信号機との間に、信号機とポイントとの間におけるが如き機械的鎖錠関係がないとはいえ、列車運転の安全保持上、極めて重要な機能を果している閉そく方式を全く無視して行なうが如きことは(もとよりそれに必要な閉そくの取扱いを履践した形跡はないし、とうてい、そのような時間的余裕はない)、常識上、到底考えられないところであるし、またその措置に出ることを必要ならしめる特段の事由を見出すこともできない。もし、所論の如き信号の間際転換が行なわれたとすれば、当然被告人別所、同四ツ谷、同杉山等駅側職員の間に、平常以上の緊張したあわただしい動きが見られたはずであるが、前記の原審証人中村うた子の供述記載によれば、同女は、前記二四三列車が六軒駅構内に進入する以前から、同列車が脱線転覆するまでの間、同駅下りホームに居合わせ、右駅側被告人らが前同列車の入駅を迎えるため、それぞれの担当配置に就く挙動を目撃していたのであるが、その間に、右駅側被告人らから、前記の如き緊迫した、もしくはあわただしい情況を感得していないことが認められる。

(ロ) 原審第一九回公判調書中、証人沢木由雄の供述記載によれば、本件事故当時、松阪駅の運転掛であつた沢木由雄は、前記村井列車指令から、さきに説示した二四三、二四六の両列車の六軒駅行き違い変更の指令を受けたのが、本件事故当日の一七時五〇分頃であり、同指令のメモをその翌朝になつて、何かの参考になるかと思い作成したけれども、平素は慣例上、右の如き指令の内容を記録していなかつたこと、また右沢木由雄は、右の行き違い変更の指令を受けた後、松阪駅の六軒駅方面に配置された転轍手に対し、右の行き違い変更の指令に関する内容を指示し、関係信号機の信号現示を変えさせようとしたが、たまたま右転轍手が当時、上り一、四六四列車の入れ換えの関係で、構内電話に掛らなかつたので、直接同転轍手に対し指示するため、同転轍手の許に走つて行つたものであり、別に、右村井指令からの前記運転変更に関する指令の到達が遅れたために慌てたものでないことが認められる。尤も、当審証人永井楠太郎に対する証人尋問調書中、同人の供述記載には、右所論にそう部分が存するけれども、該部分は伝聞に属し、信用しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

而して、所論の如く松阪駅の石井光雄駅手が通票を、前記二四六列車の機関士に走つて渡したことは、中井源一の検察官に対する第一回供述調書の記載によれば、当時、前記二四六列車の松阪駅停車時間が四五秒しかなく、同駅助役であつた右中井源一自身が通票を同列車の機関士に手渡して、行き違い駅変更の指令を知らせるわけにいかなかつたので、駅手の石井光雄に命じ、同人をして、右機関士に対し、右通票を手渡させ、かつ行き違い変更の指令を伝えさせたものであつて、これまた右村井指令の前記運転変更に関する指令が遅れたためではないことが認められ、他に該認定を左右するに足る証拠はない。

更に前記(二)の(1)において認定した如く、村井列車指令が、二四三、二四六の両列車の行き違い駅変更等を、松阪駅沢木運転掛に指令したのは、本件事故当日の一七時五五分頃であり、右沢木運転掛の前記供述記載によれば、同人が右指令を受けたのは、前同日の一七時五〇分頃とあつて、その間に約五分のそごがあるけれども、いずれにしても、本件事故が発生した同日一八時二二分頃との間には、十分な時間的余裕があり、この程度のくい違いの故を以て、いわゆる信号の間際転換を必要とするほど前記村井列車指令の右運転変更に関する指令の到達が遅れたことの証左とするのは当らない。

(ハ) なお本件事故当時、六軒駅下りホームに通票受柱が立てられていたことは、所論のとおりであるが、これは原判決も、その「第七、六軒駅について―その二」において説示している如く、被告人別所において、前記の二四三列車と二四六列車の現発通知を受けた後、同二四三列車が、踏切事故、遅運転等、その他何らかの事情で、右二四六列車より遅れて到着する場合には、前同二四三列車を通過させることができると考え、この場合に備えて、一応井田忠生駅手に命じて、下りホームに通票受柱を立てさせたものと認めるのが相当である(証拠略)。けだし天鉄局昭和三一年一〇月現在の「運転取扱細則」(以下単に「細則」と略称)九一条によれば、通票受柱は通過列車の他は使用してはならないことになつているけれども、右二四三列車は、本来六軒駅を通過する列車であつて、本件事故当日は、たまたま右村井列車指令の前記運転変更に関する指令により、同駅に臨停することになつたに過ぎず、列車ダイヤ上の停車列車ではない。従つて本件においても、右二四三列車は細則九一条にいう通過列車に当り、通票受柱を除去すべき義務は発生しないとの解釈も可能である。然も停車列車に通票受柱の使用が認められないのは、停車列車に、これを使用すると、駅ホームにいる多数の乗客に迷惑をかけ、かつ危険を与えるからであるが、右二四三列車は、六軒駅に臨時行き違いの目的のみで、臨停するに過ぎず、ホームに乗客もなく、客扱いも行なわないのであるから、受柱を

立てておくことを禁ずる理由もないのである。それ故、各駅員共に、このような通過列車が臨時行き違いのため臨停する場合には、通票受柱を撤去すべきか否かに関し、これをさして重要視していなかつたのが実情であつたからである(証拠略)。従つて、右通票受柱が下りホームに出ていたことは、何ら異常なことではなく、これを以て、直ちに、所論の如き信号の間際転換が行なわれた証左とするには足りない。

(5)  所論は、前記二四三列車の後続で運行された下り四二一列車は、高茶屋駅で、前記二四六列車と行き違うため、一八時二一分頃、突如として、高茶屋駅の進線路を変更せねばならない必要に迫られたという新事実が、原判決宣告後判明した。このことは、高茶屋駅長が右の下り四二一列車と二四六列車との行き違い変更を知つたのが、この時刻であつたことを示すものであり、同駅長は、被告人別所から、右の二四三列車と二四六列車の六軒駅行き違いという通告があつて、初めて、このことを承知したのであるから、この時刻に初めて六軒駅と高茶屋駅は、右の二四三、二四六の両列車の行き違い変更の打合せをしたこと、即ち運転整理による運転指令が、この時刻に発せられたこと、ひいてはこの指令の遅れのため、六軒駅において、信号の間際転換が行なわれたことを物語るものであると主張するのであるが、これを裏付けるに足る証拠は、当審における事実取調べの結果によつても、何ら発見することができない。

(6)  所論は、原判決が被告人青、同水野の両名に対する原判示有罪事実認定のため援用した前記被告人別所、同四ツ谷、同杉山、井田忠生、および原審証人中村うた子、同井面きく子の各供述記載中、原判決の右認定にそう部分は、被告人別所ら駅側職員が、被告人青、同水野ら機関車側職員と利害が対立する立場にあるものであること、かつ被告人別所ら駅側職員が、本件事故発生の昭和三一年一〇月一五日以降同年一一月二日までの間、身柄不拘束のまま取調べを受けていたので、その間に種々打合せをした可能性が存すること、証人中村うた子がかねて六軒駅駅員と極めて懇意な間柄にあり、証人井面きく子も、当時、同女の夫が日通松阪支店六軒営業所長をしており、現在も日通支店につとめている関係で、六軒駅駅員とは親密な関係にあること、更には、前同人らの各供述が、いずれも甚だ不正確で、あいまいであることに鑑み、いずれもその証明力に多分の疑問が存すると主張する。然しながら、所論の原判決が援用する被告人らおよび証人らの各供述中には、時間の経過のため、記憶が薄れ、あいまいかつ不正確な点があるとはいえ、その各内容は、いずれも、具体的で、自然であり、他の関連証拠とも、ほぼ符合するので、所論指摘の如き前同人らの特殊な立場を考慮に容れても、なお所論の各供述記載は、いずれも、その大綱において、信用するに足ると認められる。

以上説明のとおり、原判決には、所論の如き事実の誤認ひいては法令の解釈適用の誤が毫もなく、論旨は採用できない。

二、被告人青保雄、同水野幹夫の両名の右弁護人らの控訴趣意第二の論旨について。

所論は、要するに、

(一)  そもそも過失犯の成立には、注意義務違反がなければならないが、その注意義務とは、通常、結果予見義務と結果回避義務に分けて考えられる。結果の発生を予見する義務を怠つても、これを回避する義務を尽したときは、注意義務の違反がなく、過失犯は成立しない。本件においては、控訴趣意第一において主張した如く、被告人青、同水野の両名は、信号現示確認義務を遵守した事実があり、従つて結果予見義務を遵守していたといい得るのであるが、仮に、その点の義務の不遵守があるとしても、なお同被告人両名は、法的に要求された結果回避義務を尽したものといわなければならない。けだし、原判決も認定しているとおり、右被告人両名は、六軒駅中央附近で、下り線における出発信号機の信号現示が赤であることを発見したので、直ちに、被告人青において、非常制動措置をとつたのである。そして、日本国有鉄道(以下国鉄と略称)では、機関士の養成所等においても、非常制動距離を算出するのに、運輸省式と称する数式を用いて教育しており、この公式によれば本件二四三列車は非常制動をかけてから、一八〇米以内で、必ず止まらなければならないはずであつたのである。ところが、実際には、全く予期に反して、被告人青が予想した距離内で列車は停車せず、車止め土砂盛を越えて、脱線顛覆するに至つたもので、これは全く国鉄の教育した算式自体の誤りに起因するものであり、被告人青としては、当時、その事実を認識し得べき期待可能性がなく、右脱線顛覆の結果は不可抗力によるもので、被告人青の行為との間に刑法上の因果関係は存しない。

(二)  更に、本件下り安全側線は、大正一五年一二月二三日達一、一〇三号により制定された「車止・車輪止並びに安全側線設備心得」に基づいて設置されたもので、当時の列車密度、速度等を基準としており、車止め土砂盛まで約一〇〇米の距離を有するに過ぎないのであるが、当時の列車入駅速度が時速三五粁であつたのに対し、今日の列車密度、速度等が当時とは格段の差があり、それとの比率を以てすれば、更に少くとも、一〇〇米の延長をなす必要があつたはずである。これを延長することなく、ただ列車の密度を増し、速度を高めることのみに意を注いできた国鉄当局は、その安全施策に関する重大な運行上の責任を追及されなければならない。もし右のように安全側線が延長されていたならば、本件事故は、たとい前記の如き非常制動距離に関する算式の不備があつたとしても、発生しなかつたはずである。

結局被告人青、同水野の両名には、結果回避義務の違反がなく、従つて右被告人両名の行為と、本件脱線顛覆事故との間には、相当因果関係が認められないから、同被告人両名に対し過失責任を問うことはできない。原判決は、この点において、事実を誤認したものである、というのである。

ところで、所論は、被告人青、同水野の両名の結果回避義務の発生時点に関し、同人らの運転する前記二四三列車が、六軒駅中央附近通過直後、同駅の下り線における出発信号機が停止信号を現示していたことを発見したときとすることを前提としている。

然しながら、右二四三列車の本務機関車の機関士あるいは機関助士としての被告人青、同水野の両名の本件における具体的な業務上の注意義務は、原判示の如く、右列車を運転して、六軒駅に入駅するに際し、同駅の各信号機の信号現示を注視し、下り線における通過信号機が注意信号、下り線における出発信号機が停止信号を、それぞれ現示しているときには、同駅所定の位置に停車すべき措置をとることに存する。

然るに、被告人青、同水野の両名は、原判決がその挙示する各証拠により認定した如く、下り線における遠方信号機が現示する進行信号を確認した後、同信号機外方五〇米附近の地点を進行した際、同地点から、下り線における場内、通過の両信号機の現示を確認することができたのであるから、これを注視すれば、その信号現示が、六軒駅停車を指示するものであることを明認し得たにもかかわらず、その注視、確認を怠り、本来同列車が、同駅通過列車であるところから、当該信号機が進行信号を現示しているものと速断し、停車措置をとることなく、時速六〇粁位で、同駅を通過しようとして、同駅中心附近通過直後、下り線における出発信号機が停止信号を現示していることを確認して、急拠、非常制動をとつたが及ばず、同列車の機関車二両を、同駅下り安全側線車止め土砂盛を突破して、脱線顛覆させたものである。従つて右事故において、被告人青、同水野の両名の結果予見義務は、遅くとも右下り線における場内、通過の両信号機が、それぞれ六軒駅停車の信号を現示していることを確認し得た下り線における遠方信号機の外方五〇米附近の地点を通過の時点において、また右信号現示に対応して同駅に停車の措置をとるべき結果回避義務もその時点において、それぞれ発生したというべきである。尤も右二四三列車の如き下り快速列車を、六軒駅に臨停させる場合には、最遠ポイントである前掲二一号ポイントを入つてから、同駅ホームの約六〇米手前で制動をかけることになつているので、原判決書末尾添付の第一図によれば、同列車が、六軒駅駅舎中心から約一七〇米、下り安全側線南端の車止め土砂盛から約四一四米各手前の地点にさしかかつた時点で、結果回避義務履践の具体的行為に着手することになる。然し、いずれにしても、所論の主張する被告人青、同水野の両名の結果回避義務発生時点は、前記の結果予見義務および結果回避義務に違反した同被告人両名が、甚しく時機を失して現実に結果回避の措置をとつた時点に過ぎず、これを以て、客観的に、妥当な結果回避義務発生時点とみなすことはできない。従つて、所論は既に、その前提において、誤つているといわねばならない。そして、被告人青、同水野の両名が、前記の注意義務を履践して、所定の地点で、制動措置をとつていれば、仮に、本件において、所論指摘の如く二四六列車が、いわゆる運輸省式の数式を用いた計算による非常制動距離約一八〇米以内で停止し得ず、二四四・二米ないし二七九・六米の制動距離を以て、漸く停止し得たものとしても、また下り安全側線の約一〇〇米の距離が、今日の激増した列車密度および速度に適合せず、短かきに失するとしても、なお六軒駅構内の所定停車位置に停車し得たものと考えられ、もとより下り安全側線を突破して、車止め土砂盛に乗り上げるごとき事態はとうてい起り得なかつたのである。

従つて、被告人青、同水野の両名の原判示業務上の注意義務違反と、右二四三列車の本件脱線顛覆事故との間には、法律上の因果関係を認めるに十分であつて、原判決に所論の如き事実誤認はなく、論旨は採用できない。

三、被告人青保雄、同水野幹夫の両名の右弁護人らの控訴趣意第三の論旨について。

所論は、要するに、仮に被告人青、同水野の両名に、原判示のような過失が存したとしても、本件衝突事故および、それに基づく死傷の結果は、駅側の被告人別所力が、運心三八三条局問2により、通過列車である原判示二四六列車に対し、これを六軒駅の上り線における場内信号機外に停車させなければならない義務があるにもかかわらず、右局問を無視し、同列車を六軒駅に進入して同駅構内に臨停させる旨の信号現示をなしたことによつて発生したものであり、被告人青、同水野の両名の関与するところではない。

原判決は、本件事故発生後、改められた日本国有鉄道総裁達「運転取扱心得」三八三条局問(以下新局問と略称)と運心三八二条局問(以下旧局問と略称)2との間には、通過列車と通過列車との行き違いの場合の取扱いについて、大きな相違が存するとして、旧局問当時における被告人別所の本件取扱いが正しかつた旨説示しているけれども、旧局問と新局問との間には、実質的な変更はない。また原判決は、旧局問2但書に、「通過列車を停車場内に停車させる余裕があるとき」とあるのは、「通過列車を通過させる余裕がないときの意である」旨説示しているけれども、このように通過列車を通過させる余裕がないときには、運心三八二条の臨停をさせるための信号現示をなし、余裕があるときは、運心三八一条の通過させるための信号現示をするものとすれば、運心三八三条本文は全く無意味となり、空文化してしまう恐れが多分に存する。更に原判決は、「原判示二四六列車を上り線における場内信号機外方五〇米附近の地点(以下この地点をA点と呼ぶ)に停止させるとすれば(運心三二八条)、(一)、A点から小津避溢橋北詰までは一六・三五米、(二)、A点から三渡川鉄橋北詰までは一四三・七五米、(三)、A点から右鉄橋南詰までは二二七・三三米であるから、列車の長さ二六〇米の右二四六列車は、その前部が三渡川鉄橋北詰から小津避溢橋にかけて下り傾斜、その後部が右鉄橋南詰に向つて上り傾斜の形をとつて、小津避溢橋、三渡川鉄橋を跨いで停止することとなる。このような停車方法は、明らかに不適当であるから、特段の事由がない限り、かかる停車方法を回避すべきは何人も異論のないところであろう」と説示しているけれども、場内信号機の手前に鉄橋が架設されている駅は、全国にも数多いが、これら場内信号機の手前で列車を停めてはならないとする規定は全く存しないし、実際上も、右のような地形の各駅において、機外停車が忠実に励行されている。また原判決は「特段の事由がない限り……」と説示しているが、この場合の特段の事由とは、何を指すか不明である。そもそも信号機は、列車を進入させるのが目的ではなく、列車を停めるのが目的であり、運心三八三条は前記のとおり、あくまでも、危険を防止するための規定であるから、常に厳格に遵守されねばならないはずである。原審は、事故を防ぐには場所、地形の如何にかかわらず、躊躇なく、列車を止めるべきであるという信号機取扱いの根本原則を、不覚にも、見落しているものといわねばならない。もし原判決のような判断に従わねばならないとすれば、運心三八三条の適用範囲は極めてあいまいなものになつてしまうのである。結局原判決は、鉄橋を跨いで停車せねばならない場内信号機の建植位置に非があることを認めるべきであつたにもかかわらず、場内信号機が、この地点に建植されているから、機外停車を回避すべきであるという誤つた判断を下したものであつて、まさに本末転倒の空論という他はない。これを要するに、被告人別所の本件における信号取扱いが、運心三八三条に違反せず、かつ被告人青、同水野の両名の過失と本件衝突事故およびこれに基づく死傷の結果との間に、相当因果関係が存在するとした原判決の判断は、重大な事実の誤認であり、かつ法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。

そこで、先ず新局問と旧局問2の各文言を比較検討してみると、前者においては、「通過列車に対する通過信号機を附設する場内信号機の取扱方は、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備が完了してから、通過列車を通過させるときの信号を現示すること、但し先発列車の遅延等によつて、通過列車を場内信号機外に停止させなければならないことが明らかなときは、臨時停止の信号を現示して、特別の場合のほか、場内信号機の外方で列車を停止させて、待ち合わせないようにすること、この場合、行き違いとなるときは、この取扱いのほか次によること。

(1)  通過列車と停車列車とが行き違いとなるとき。

通過列車に対しては、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備完了後、通過列車に対する信号を現示すること。但し停車列車が遅延して、通過列車を先に停車場に進入させることが有利なときは、停車列車に対する場内信号機を停止信号に現示しておいて、通過列車を臨時停止の信号機の取扱いにより進入させた後、停車列車に対する場内信号機に進行信号を現示する。

(2)  行き違い変更のため、通過列車と通過列車が行き違いとなるとき。

早く接近する列車に対して、臨時停止の信号を現示して停車場に進入させる。一方の列車に対しては、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備完了後、通過列車に対する信号を現示すること。但し有効長外けん引、こう配の関係等特別の理由のある場合は、早く接近する列車を場内信号機外に停止させることとしてもよい。」

とあり、後者においては、

「通過信号機を附設する場内信号機の設けてある場合、通過列車に対する信号機の取扱方を示されたい」との問に対し、

「行き違い、または開通待ちの場合、通過列車に対して、臨時停車の信号機の取扱いをしておくと、通過準備ができても、前問によつて、臨時停車の信号の信号現示から列車を通過させる信号現示には簡単に変えられないので、行き違い、または開通待ちの場合の通過列車に対する信号機の取扱いは、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備が完了してから、通過列車を通過させるときの信号を現示すること。但し行き違い列車または先発列車の遅延時分によつて、通過列車を停車場内に停止させる余裕があるときは、臨時停車の信号を現示して特別の場合のほか、場内信号機の外方で停止させて待ち合わせないようにすること。」

と説明している。これら新旧両局問の説示から明らかな如く、右両局問は、いずれも通過列車を通過させるべきか、あるいは臨停せしむべきか、どちらとも決しがたく、然も開通待ちあるいは行き違いという特殊な場合における通過信号機を附設する場内信号機の取扱方法に関し、新旧運心の各三八三条の解釈を示したものであるということである(新旧運心の各三八三条は、前者は後者の「停車場に進入」を「停車場に接近」といい替えただけで、その趣旨は全く変らない)。右両局問の相異点は、新局問においては、通過列車と停車列車とが行き違いになる場合と、通過列車と通過列車とが行き違いになる場合とを書き分け、そのいずれの場合にも、両行き違い列車を、同時に停車場内に進入させることを禁止し、一方が停車場内に進入するときは、その間、必ず他方に対する場内信号機には停止信号を現示させておくこととしているのに対し、旧局問は、このように二つの場合を書き分けていないばかりでなく、行き違い両列車が同時に停車場内に進入する場合についても、触れるところがない。新局問が、この点に関して右のように改正されたのは、本件事故の発生が、前記の二四三列車と二四六列車を共に六軒駅に臨停させようとして、同時に、同駅停車場内に進入することを許したことに、その一因があるという苦い経験に鑑みたものであつて、運心三二条によつて安全側線の設けのある停車場においては、二以上の列車の停車場内への同時進入が認められていることに徴すると、旧局問の解釈としては、通過列車と通過列車との行き違いの場合、同両列車を共に臨停させるため、同時に、停車場内に進入させることが許されていたというべきである。そして、旧局問2が、その但書において、「行き違い列車または先発列車の遅延時分によつて、通過列車を停車場内に停止させる余裕があるときは、臨時停車の信号を現示して、特別の場合のほか、信号機の外方で停止させて、待ち合わせないようにすること」としている、その「通過列車を停車場内に停車させる余裕があるとき」とは、新局問が「但し先発列車の遅延等によつて、通過列車を場内信号機外に停止せしめなければならないことが明らかなとき」と説示している趣旨と同趣旨であると解すべきである。即ち「通過列車を停車場内に停車させる余裕があるとき」とは、先発列車、あるいは行き違い列車の遅延等のため、当該通過列車に対しては、一応場内信号機に「停止信号」を現示しておいて通過準備をしても間に合わないとき、換言すれば、同列車が場内信号機にさしかかるまでに、通過準備が完了して、同信号機が通過の信号現示に変り、同列車が場内信号機外で停止することなく、通過するというわけにいかず、必ず通過準備完了待ちのため、場内信号機外で停止しなければならないことが明らかな場合を指すのである。このような場合には、むしろ同列車を場内信号機外で停止させておくよりも、停車場内に停車させた方が、適当であり、かつその時間的余裕は十分に存するのである。これを逆にいえば、先発列車または行き違い列車の遅延のため、その入駅が遅れ、従つて、他方の通過列車が場内信号機のところまで来た時点では、通過準備が間に合わず、同列車が直ちに通過できないことが明らかな場合をいうのである(証拠略)。原判決が旧局問2但し書において、「通過列車を停車場内に停止させる余裕があるとき」とは「通過列車を通過させる余裕がないとき」の意であると述べているのはまさにこのことを指す趣旨であると解される。

そこで、これを本件についてみると、原判示の如く、二四三列車は、高茶屋駅を一一分延で通過、従つて六軒駅駅舎中心にさしかかる時刻は、一八時二一分四五秒の見込みである。二四六列車は松阪駅を定時発車、従つて六軒駅駅舎中心にさしかかる時刻は、一八時二二分三〇秒頃の見込みで、その時隔は約四五秒に過ぎない。この僅少の時間内に、下り線における場内信号機を進行信号から停止信号に復位し、二四三列車の携帯して来た通票を、下りホームから上りホームに移つて、これを同上りホーム北端の通票受柱に装てんし、二一号ポイントを反位に転換したうえ、上り線における各信号機に、二四六列車を通過させる信号を現示する作業を終えること、即ち二四六列車の六軒駅通過の準備を完了することは、極めて困難であるといわねばならない。従つて二四六列車は、その通過準備完了を待つ間、上り線における場内信号機外で停止していなければならないことは必定である。それ故、特別の事情が認められない本件の場合において、被告人別所が旧局問2但書に従つて、二四六列車の六軒駅臨停の措車をとつたことは正当であり、これを適法妥当であるとした原判決の判断もまた正当として是認さるべきである。

原審第二八回公判調書中の証人石河光男の供述記載、同第四三回公判調書中の証人真井重太郎の供述記載、同第四七回、第四八回、第五〇回各公判調書中の証人馬路佐利の各供述記載、同第四九回公判調書中の証人早川寿一の供述記載および当審証人石河光男に対する証人尋問調書(第一、二回)における同人の各供述記載中、右見解に反し、所論にそう部分は採用できない。

所論は、このように解すると、運心三八三条本則が全く無意味となり、空文化してしまうと主張するけれども、前記の如く右新旧各局問は、いずれも特殊な場合に即応した運心三八三条の拡張解釈であつて、かかる解釈は必ずしも、同条の趣旨に反するものではないかと考えられる。

なお所論指摘の、六軒駅の上り線における場内信号機外方五〇米の地点附近の地形、施設の状況から、同地点に二四六列車を停止させることが不適当である旨の原判決の説示について附言すると、本件の場合に、前記二四六列車を、上り線における場内信号機外方に停止させて、待ち合わすべきでないことは、前記のとおり旧局問2の但書の解釈上、当然の帰結であり、一般論としては、原判示指摘の如き条件の下で、同列車を右信号機外方に停止させることが適当でないことは、いえるとしても、本件の場合、同列車を六軒駅に臨停させる措置の当否の判定に、直接かかわりのある事項でないことは所論のとおりである。然し原判決が、被告人別所の前記二四六列車の臨停措置が運心三八三条に違反せず、その所為は適法妥当であり、従つて被告人青、同水野の両名の本件業務上の過失と本件の二四三、二四六の両列車の衝突およびこれに基づく死傷の結果との間に、相当因果関係があるとした判断は、結論において正当であり、所論の如き事実の誤認、法令の解釈適用の誤りは存しないから、論旨は結局採用できない。

四、検察官の控訴趣意第一点、原判決の時隔認定に関する事実誤認の論旨について。

(一)  所論は、要するに、原判決が、原判示の第二四三列車が脱線顛覆して完全に停止したときから、原判示の第二四六列車が、これに衝突するまでの時隔について、

(1)  国鉄職員が列車の発着、通過時刻について述べる時刻の正確度に関していえば、快速列車については六捨七入の一五秒単位、各駅停車の列車にあつては、一四捨一五入の三〇秒単位の各採時法が採用されており、従つて、採時上、定時(発車、到着、通過)といつても、快速列車については、前後一四秒の幅があり、しかも各機関士によつて、右採時の方法を異にしているので、国鉄職員採時者の採時記録もしくは時刻記憶から、過ぎ去つたある時点の正確な時刻を知ろうとすることは、ほとんど不可能に近い。

(2)  時隔の算定に当つて、右二四三列車の乗客の供述をそのまま採用することは危険である。即ち取調の対象となった右列車に乗り合わせた高校生ならびに一般乗客の大部分は、平素、秒単位の生活をしておらず、そのうえ、彼等が当時、身の危険を感ずる切迫した恐怖に満ちた状態におかれて、周章狼狽していたであろうことは、推察するに難くない。従つて、平静に戻つたときに彼等に当時の行動を再現させ、その所要時分が何秒であるから、当時も何秒の時間を要したであろうと推論することは、極めて危険であつて、これ等のものは、特別のものを除き、証拠価値が低いと見ざるを得ない。

(3)  右二四三列車の脱線顛覆による完全停止時刻を算定すると、同二四三列車は、本件事故当日、高茶屋駅を所定より一一分延の一八時一六分四五秒に通過し、その後も同列車は遅延を回復することなく、順延していたと認められるので、同列車の六軒駅駅舎中心を通過した時刻は所定より一一分延の一八時二一分四五秒頃である。次に同列車が六軒駅駅舎中心より南方二九三・五米位の地点に脱線顛覆して、完全停止するまでの所要時分は二五秒位と認められるので、同列車が完全に停止した時刻は一八時二二分一〇秒頃となる。

(4)  右二四三列車と原判示二四六列車の衝突地点は、六軒駅駅舎中心より南方二六六・八米位の地点であり、右二四六列車の松阪駅、六軒駅間(両駅駅舎中心間)の所定走行時分は五分三〇秒であるから、同列車の松阪駅から衝突地点までの走行所要時分は五分一四秒とみるのが相当である。

(5)  右二四六列車の松阪駅発車時刻につき、検察官は、一八時一七分一〇秒と主張し、駅側弁護人は一八時一七分四秒と主張するが、同両者の主張には、いずれも一応首肯するに足る根拠がある。そして駅側弁護人主張のとおり右二四六列車が松阪駅を一八時一七分四秒に発車したとすれば、衝突時刻は、これに五分一四秒を加えた一八時二二分一八秒となり、前記二四三列車の完全停止時刻一八時二二分一〇秒との時隔は八秒となるが、検察官主張の一八時一七分一〇秒発車説に従えば、右の時隔は一四秒となる。

(6)  しかし、右時隔の算出は、一応のものであつて、その基準時刻自身、前記(1)で説明したとおり、その採時法によつて、幅があり、かつストツプウオツチ等で採時したものでないため、確固不動のものでないうえ、右の二四三、二四六の両列車の松阪、六軒両駅間もしくは高茶屋、六軒両駅間における現実の運転速度、右二四六列車の制動機操作の有無、その効果等、判別しがたい諸条件を一応考慮の外において算出したものであつて、秒を争う観点からすれば、まことにずさんなものである。従つて、時隔の正確な認定は、ほとんど不可能というに近い。しかし現実に存在した時隔が、右に算出された八秒または一四秒というが如き短時間でないことは、関係各証拠によつて推認することができる。

(7)  このように時隔算定の始期ならびに、その終期を何時何分何秒と確定明示することはできないが、右に検討した結果や証人日高上の供述等を総合し、時隔は約二〇秒あつたものと認定する。右認定から、前記二四三列車が完全に停止した際に、右二四六列車の進行していた地点は、前記二四三列車の第一客車車両の前頭を距たる三三二米(時速六〇粁として計算)の辺で、三渡川鉄橋南詰から南方五四米の辺(上り遠方信号機から北方三二米の地点)となる、

として、時隔が三一秒以上(四〇秒余と見るのが妥当である)存したという検察官の主張を斥け、被告人別所、同四ツ谷にとつて、本件衝突事故の発生防止措置を講ずる時間的余裕がなかつたと認定したのは、証拠の取捨選択、ならびにその評価を誤り、事実を誤認した違法がある、というのである。

(二)  そこで、記録を調べ、当審において行なつた事実取調の結果を総合して検討すると、原判示の二四三列車が脱線顛覆して完全に停止したときから、原判示の二四六列車がこれに衝突するまでの時隔を確定するに当つては、当時の各列車の運行時分に基づく算定と、本件事故に関係した国鉄職員、本件事故の目撃者および右二四三列車の乗客等による体験的感覚に基づく算定の二方面から、これを考察しなければならない。

(1)  右の二四三、二四六の両列車の所定運転時刻に基づく時隔の算定

(イ) 原判決が、本件事故当日、右二四三列車は、高茶屋駅を所定より一一分延の一八時一六分四五秒に通過したこと(この点については、検察官、駅側弁護人共に争わない)、同列車は、右遅延を回復することなく順延し、六軒駅駅舎中心を所定より一一分延の一八時二一分四五秒頃に通過したこと、同列車が、六軒駅駅舎中心より南方約三九三・五米の地点に脱線顛覆して、完全停止するまでの所要時分は、約二五秒であつたこと(この点についても、検察官、駅側弁護人共に争わない)、従つて、右二四三列車の完全停止時刻は一応一八時二二分一〇秒頃と算定されること、次に前記二四六列車が松阪駅を発車した時刻については、検察官が一八時一七分一〇秒と主張し、駅側弁護人が一八時一七分四秒と主張するが、右両者の主張には、いずれも一応首肯し得る根拠があること、右の二四三列車と、二四六列車の衝突地点は、六軒駅駅舎中心南方約二六六・八米の地点であり、松阪駅より右衝突地点までの間を、前記二四六列車が運行するに要した時分は、五分一四秒とみるのが相当であること、従つて、駅側弁護人主張のとおり右二四六列車の松阪駅発車時刻を一八時一七分四秒とすれば、同列車の右衝突地点到達時刻は、一八時二二分一八秒となり、右二四三列車の完全停車時刻一八時二二分一〇秒との時隔は八秒となり、検察官主張の一八時一七分一〇秒発車説に従えば、右時隔は一四秒となる旨、各算定したのは、その援用する各証拠に照らし、妥当である。

(ロ) 所論は、被告人青の検察官に対する第九回供述調書中、同人の供述として、「先に下り最遠ポイント通過のとき、遅延時分を採時したところ、一〇分四五秒の遅延になつていたと述べたけれども、これは時計を見た場所が最遠ポイント通過のときであり、一〇分四五秒遅延というのは、駅舎中心前を通過する際の遅延時分を最遠ポイントの所で採時した意味であつて、つまり駅舎中心前通過のとき一〇分四五秒遅れていたことを述べたのである。」旨の記載および、これと同旨の原審第六五回公判調書中の同人の供述記載、前記二四三列車の補助機関車の機関士赤塚武の検察官に対する第八回供述調書中、同人の供述として、「二四三列車は、六軒駅で定刻より一〇分四五秒の遅延であつた。従つて、同駅駅舎前を通過する際は一八時二一分三〇秒頃であつたと想定される。」旨の記載、および右二四三列車の車掌水谷藤夫の昭和三一年一一月一二日付検察官に対する供述調書中、同人の供述として、「二四三列車が完全停止してから、少くとも一三秒以上経過した後、同列車の外に飛び降り、時計を見たところ、一八時二一分台であつた。」旨(このことは、右二四三列車が完全停止したのは、一八時二一分台の最終時点である一八時二一分五九秒より一三秒以前即ち一八時二一分四〇秒台であつたことを意味する)の記載により、右二四三列車が高茶屋駅、六軒駅間を走行中、一五秒の回復運転がなされ、同列車が六軒駅駅舎中心を通過したのは、所定より一〇分四五秒延の一八時二一分三〇秒頃、従つて同列車の完全停止時刻は一八時二一分五五秒以前と認めるのが正当であると主張する。

然しながら、原判決も指摘する如く、被告人青は、同被告人の検察官に対する第二回供述調書中においては、「六軒駅で一一分遅延していた」旨、前同第三回供述調書中においては、「六軒駅の下り線における場内信号機附近を通過したとき、一〇分四〇秒遅延していた。」旨、前同第五回供述調書中においては、「六軒駅の下り最遠ポイント(二一号ポイント)通過のときは、一〇分四五秒の遅延になつていた。本件事故当日の乗務日誌には、六軒駅では一一分延通と書いておいた。」旨、前同第六回供述調書中においては、「高茶屋、六軒間で、多少回復できたと思うので、六軒駅駅長事務室前(六軒駅駅舎中心に当る)では、一〇分五六秒位遅延していたことになる。」旨を、それぞれ供述しながら、前記の如く被告人青の検察官に対する第九回供述調書中において、突如として、「一〇分四五秒遅延は、駅舎中心における延通時分で、この一〇分四五秒は、最遠ポイントの地点で、予め採時しておいたものである。」旨供述を変えており、その供述内容に一貫性を欠いていることに照らすと、この点に関し、所論の援用する同被告人の検察官に対する前記第九回供述調書、同被告人の原審公判廷における各供述記載は、いずれも信用しがたい。また赤塚武が、前出検察官に対する供述調書中において、「二四三列車が、六軒駅では、定刻より一〇分四五秒遅延であつた。」旨供述していることは所論のとおりであるが、同人は右供述調書および検察官に対する第五回供述調書中において、「二四三列車は、高茶屋、六軒間で運転回復できなかつたと思う。」旨述べており、同人としては、高茶屋駅を所定より一〇分四五秒延発と考えていたことが明らかである。更に水谷藤夫の前記検察官に対する各供述調書中の供述記載は、後記の如く全面的には採用できないものであつて、結局、右二四三列車が、高茶屋、六軒間において、一五秒の回復運転をなした旨の所論主張を裏付けるに足る証拠はなく、むしろ、前記の措信し得る各証拠によれば、右二四三列車は、かかる回復運転がなされず、一一分延のまま、六軒駅駅舎中心を通過したものと認められるのである。

(ハ) 所論は、当時の右二四六列車の補助機関車機関士浦田正治の検察官に対する供述調書中、同人の供述として、「二四六列車は、松阪駅を所定より一〇秒延の一八時一七分一〇秒に発車したが、その後の各地点の速度と私の採時した時分をいうと、船江踏切で、松阪駅発車後、二分四〇秒位、速度は時速七五粁位であり、近鉄ガード下では、発車後、四分二〇秒位、速度は時速七二ないし七五粁であつた。そして三渡川鉄橋上では、速度は時速六〇粁位に落ちたように感じた。こうして六軒駅に進入する態勢を整えたわけであるが、その間松阪駅一〇秒延発は回復していない。この列車の衝突した時刻を推定すると、右のとおり近鉄ガード下で、松阪駅発車後、四分二〇秒位であり、近鉄ガード下から三渡川鉄橋南詰まで約七〇〇米位として、平均時速七〇粁で走つて、三六秒を要し、更に三渡川鉄橋南詰から現場まで約三二〇米あるとして、時速約六〇粁で換算すると、二〇秒位になる。従つて、接触現場における時間は、一八時二二分二六秒位になる。」旨の記載を援用して、松阪駅より本件衝突地点までの間における前記二四六列車の走行所要時分は、原判決認定の如く五分一四秒ではなく、五分一六秒であると主張する。

然しながら、原判決も適切に指摘する如く、浦田正治の右検察官に対する供述調書中、同人の供述記載として、「近鉄ガード下から三渡川鉄橋南詰まで約七〇〇米」とあるのは、「約六五三米」(原判決が六五四米としているのは誤記と認める)とするのが正しいことが明らかであるから、時速七〇粁として、その走行所要時分は三三・四秒で、これを三六秒とする右検察官に対する供述調書中の供述記載には二・六秒の誤差がある。従つて、前同浦田正治の右供述記載自体からも、松阪駅と本件衝突地点との間の走行所要時分は五分一四秒以下であることが明らかである。

(ニ) 所論は、右浦田正治の原審公判調書および検察官に対する供述調書中の各供述記載を援用して、前記二四六列車の松阪駅発車時刻の採時については、発車で起動したときに採時する機関士のそれの方が、発車合図のブザーを押したときに採時する駅側職員のそれよりも正確である旨を主張するが、駅側弁護人の援用する原審第二三回公判調書中の当時の松阪駅信号掛西川貞三の供述記載および原審第一九回公判調書中の当時の松阪駅助役中井源一の供述記載によれば、同人等も、右二四六列車が松阪駅発車で起動したとき採時したというのであつて、所論の如く機関士の採時の方が駅員のそれより正確であると断定することはできず、前記の如く検察官、駅側弁護人の、この点に関する、それぞれの主張には、いずれも一応これを首肯させるに足る根拠があるとして、択一的な判断を保留した原判決の態度は妥当というべきである。

(ホ) ところで、原判決は、前記の如く、二四三、二四六の両列車の運行時分に基づき、二四三列車が完全に停止してから、二四六列車が、これに衝突するまでの時隔を、八秒または一四秒と算出しながら、右時隔算定の基礎となつた時分およびその算定方法自体が、必ずしも絶対に正確なものとはいいがたく、その結果、算出された右時隔は、秒を争う観点からすれば、まことにずさんなものであつて、時隔の正確な認定はほとんど不可能に近いとしている。

たしかに、原判決が適切に指摘する如く、右二四三、二四六の各列車の如き参宮線の快速列車は、六捨七入の方法による一五秒単位で採時されているから、二四三列車が高茶屋駅一八時一六分四五秒の一一分延通、六軒駅一一分延通といつても、これには前後一四秒の幅がある。たとえば、高茶屋駅一八時一六分四五秒通過というとき、一五秒単位の右採時方法によれば、同列車が実際には一八時一六分三七秒に同駅を通過しても、あるいは一八時一六分五一秒に通過しても、いずれも一八時一六分四五秒通過として採時されるのである。また二四六列車が松阪駅を一八時一七分四秒もしくは一八時一七分一〇秒に発車したという採時も、ストツプウオツチを使用したわけではないから、これがどの程度正確なものであるか心もとなく、更に右各列車の高茶屋、六軒間、あるいは、松阪、六軒間の運転速度、二四三列車の六軒入駅後の速度、二四六列車についての制動操作の有無、その効果等、的確な資料を欠き、判別しがたい点は一応考慮の外においたうえで、右時隔が算出されており、なお二四三列車が六軒駅駅舎中心を通過してから完全停止するまでの所要時分認定の根拠となつた沖島喜八作成の昭和三一年一二月二〇日付鑑定書も、本件において、二四三列車が六軒駅下り安全側線車止め土砂盛始端から終端までを走行突破する際、および右終端から田圃の中を走行して停止するまでの間に受けた走行抵抗の計算を、本件と同一の条件の下で行なわれた実験に基づくことなくその実験目的も実験条件等も異なる昭和二年五月の北条線安房鴨川駅構内における実験資料を参考として推定のうえ、行なつているのであり、これを前提とする所要時分約二五秒の数値も、絶対に正確なものとはいいがたいのである。従つて、原判決が前記の八秒もしくは一四秒の時隔を秒単位の基準からすれば、不正確であるとして、全面的に、これに依拠することを保留した慎重な態度も十分首肯し得るところである。これを要するに、原裁判所が一応算出し、当裁判所も支持する八秒もしくは一四秒の右時隔は、あくまでも一応のものであるに過ぎない。

(2)  本件事故関係者の体験的感覚に基づく時隔の算定。

(イ) 原判決は、被告人四ツ谷の検察官に対する第四回供述調書、原審公判調書中の被告人杉山、水谷藤夫、繩手瑞穂の各供述記載、井面きく子、後口邦夫、佐藤光男、山下浩の各証人尋問調書中の同人らの各供述記載から判断して、経験則上、時隔は前記の八秒もしくは一四秒でないことが推認されるとし、時隔算定の始期ならびに、その終期については、これを確定明示することができないけれども、右に検討した結果や、日高上の証人尋問調書および検察官に対する供述調書中の同人の各供述記載等を総合し、時隔は二〇秒位あつたものと認定している。

然しながら、原判決の援用する右各供述記載部分からは、具体的に、時隔が約二〇秒であつたことを認定することはできない。殊に、本件事故当時二四三列車の乗客であつた前記の後口邦夫、佐藤光男、山下浩、繩手瑞穂の各供述記載は、いずれも本件事故の約三年後になされた証言であつて、いずれも、その記憶が薄れている状況が、右各供述記載自体から窺われるのみならず、同人らは、同人らの検察官に対する各供述調書においては、記憶していたとおり述べたといつており、その検察官に対する各供述調書中、同人らの供述としては、前記の時隔が三〇秒ないし五〇秒であつた旨の各記載が存し、繩手瑞穂は、原審第一五回公判調書中に、証人として、右時隔は一分前後と思う旨供述した記載が存する。更に、井面きく子は、前記証人尋問調書中に、証人として、逆に遙かに短かく、右時隔が約一〇秒であつた旨供述した記載があり、また日高上の前記証人尋問調書および検察官に対する各供述調書中における同人の各供述記載によれば、「同人は、本件事故当日、その勤務先である三渡中学校職員室自席において、前記二四三列車の脱線顛覆する音を聞いて立ち上り、五、六歩歩いて立止つたとき、即ち、時間にして七、八秒経過した後に、前記二四六列車が三渡川鉄橋にさしかかる音を聞いた。」というのであり、換言すれば、右二四三列車が脱線顛覆したときには前同二四六列車が、右の三渡川鉄橋南詰より七、八秒南方を進行していた、というのである。そして、右二四六列車が、前同鉄橋南詰から、右二四三列車の一両目客車車両に衝突するまでの距離ならびに右区間の走行所要時分は、原判決の認定するところによれば、約二八〇米の区間を時速六〇粁で走行したとして、約一七秒である(原判決一六四頁ないし一六五頁)。従つて、前記時隔は、この一七秒に右の七、八秒を加えた二四、五秒ということになる。結局、原判決の援用する右各供述記載によつては、約二〇秒という原判決認定の時隔は、これを認定し得ないのであつて、原判決が如何なる客観的根拠に基づいて、かかる認定に達したか、理解に苦しむところがあることは、検察官所論のとおりである。

(ロ) 検察官の所論は、駅側職員である被告人杉山、同別所、右二四三列車の本務機関車機関士被告人青、同列車車掌水谷藤夫、本件衝突の目撃者前田晋一、中村修二、伊藤佐三および中村次郎外三二名の前記二四三列車の乗客の原審公判調書、証人尋問調書、もしくは検察官に対する供述調書中における各供述記載を援用して、そのいずれもが、本件事故に際し、各自関係のそれぞれの起点を有する明確な行動経過に関する供述内容であり、かつ、その行動経過に基づいた時隔に関する供述内容であること、とくに、その検察官に対する各供述調書における各供述記載は、それぞれ当該者の原審公判廷における証言によつても、その信用性が認められるのに加え、それらは、いずれも記憶が正確で新たなときにおける供述に基づき作成されたものであつて、高い証拠価値が認められること、右各供述記載においては、いずれもが、前記時隔につきこれを、三〇秒ないし一分前後であつたと記載されていることに鑑み、そのうちでも、右時隔に関する供述につき、最も具体性があり、かつ信用度の高いと考えられる被告人杉山および右前田晋一の前記各供述記載を中心として、合理的に総合判断すると、右の時隔が、原審における検察官主張の如く三一秒以上存することは勿論、それよりも遙かに長く四〇秒余存するものと見るのが妥当であると主張する。

然しながら、平素、秒単位の生活をしておらず、然も突如、本件事故に遭遇して身体生命の危険にさらされ、極めて切迫緊張した状況に置かれた右乗客らに対し、平静に戻つたときにおいて、本件事故当時を回想させ、その当時の車内における暗さ、窮屈さ等具体的な条件を度外視し、当時の行動を再現させて、その所要時分を、そのまま当時のそれに代置することの危険であることは、原判決指摘のとおりである。このことは、右乗客らのみならず、駅側職員、機関士、列車車掌、第三者たる事故目撃者ら、その余の本件事故関係者に対しても、多から少かれ、妥当するところであり、一般的にいつて、人間の記憶が甚だ不確かであるうえに、当時の緊迫した状態の下で、右関係者らに冷静沈着な客観的認識と当時における記憶の忠実な再生を期待することは、とうてい不可能であるといわねばならない。この間の事情につき、検察官も、これを認めていることは、次の事実からも明らかである。即ち、所論は、被告人青の昭和三一年一一月二日付の検察官に対する供述調書中、同被告人の供述として、「時隔は、大体三〇秒位あつたのではないかと思う。三〇秒位という時分は、駅で三〇秒停車をよく経験しているので、それと比較してもそう思う」旨の記載を、これが事故後九日ないし一八日位に述べられた新しい記憶に基づくものであるのに加え、その時隔についての供述内容も、ただ漠然とした判断によつてなされたものではなく、機関士として、日常、秒に基づく職務に従事する右被告人が、自己の行動に基づいて述べたものにかかり、極めて根拠のある供述内容であつて、これに合理性が存することは明らかであるとしながら、その際、同被告人の認めた前記二四六列車の前照灯の所在地点についての距離関係から、右時隔を実際には約三〇秒でなく、四〇秒以上と認めるのが相当であるとし、さらに、同被告人は、右二四六列車の前照灯を認め、衝突事故を目前にして、何とか無事であつて欲しいと念願する心理状態で、衝突事故発生まで無為に経過したのであるから、その時間を、余りにも短かく感じた結果、右時隔が三〇秒位であつたという供述内容になつたものと推測されるとしているのである(常識からいえば、被告人青のおかれた前記の如き状況の下では、むしろ、時間を、実際よりも長く感ずるのではないかと思われる)。

以下、所論が、右時隔に関しては、最も具体性があり、かつ信用度も高いとする被告人杉山および右前田晋一の前記各供述記載ならびに所論が、右二四三列車の完全停止時から、前記二四六列車との衝突時までにとつた行動が極めて具体的で然も途中、時計により時間を確認した事実もあつて、その供述により、四〇秒以上の時隔の存在を認めることに合理性と高度の信用性があるとする右水谷藤夫の所論供述記載について、更に、検討を加えることとする。

先ず、右被告人杉山の昭和三一年一〇月二七日付および同年一一月一二日付検察官に対する各供述調書中には、「前記二四三列車が、安全側線の砂盛を破つて、下の田に落ちたようなズボンという大きな音を立て、それと共に、砂や蒸気や煙等の混つたものが、もうもうと立ち上つたので、私は身体が固くなり、少しの間、呆然として、それを見ていた。ふとこの脱線事故によつて、本線に支障があると、前記二四六列車が脱線して、人身事故でも起しては大変と思い、同二四六列車の方を見たところ、まだ同列車の前照灯も見えなかつたので、私は、南箱番備え付けの構内用電話で、駅舎に緊急電話をかけようとして、一〇秒から二〇秒位電話機をまわしたけれども、連絡することができなかつた。そして電話をまわしているうちに、三渡川鉄橋の方に、右二四六列車の前照灯が見えて来た。そのときの同二四六列車の位置は、昭和三一年一〇月二五日、現地で実験した際、私が検察官に指示したとおりである。私は電話を断念してから、合図灯を手にして、前記箱番を出て、右二四六列車の方に向つて、線路右側の足許の悪い道路を一二、三米、無意識に小走りで進んだところ、右二四六列車が相当の速度で来るので、私の身体にも危害がおよぶと思い、その地点から、思わず後向きになつて、もと進んだ道を引き返し、前記箱番を楯にして、同箱番の北側に身を隠し、腰をかがめるようにして顔を出し、右二四六列車の方を見たとたんに衝突した」旨の供述記載があるが、所論は、該供述記載から、二つの事実が明らかであるとする。即ち第一に、同被告人は、前記二四三列車が脱線顛覆して後、緊急電話をかける途中までには、未だ右二四六列車が進行して来る様子を、その前照灯あるいはその光芒によつても現認していなかつたことである。ところで、昭和三一年一一月一七日付および同年同月一九日付検察官作成の各実況見分調書によれば、同被告人が佇立していた前記南箱番附近から右二四六列車の進行して来る南方を望見すれば、同列車が上り線における遠方信号機外方(南方)一二〇米の地点に達したときには(原判決の認定によれば、右地点は本件衝突地点から四八四・二米南方であつて、前同列車の時速を六〇粁として、同列車が右衝突地点に到着するまでに、二九秒を要する位置にある)、同列車の明るく輝く前照灯を容易に確認することができる。従つて、前記二四三列車が脱線顛覆したとき、右二四六列車は、本件衝突地点から距離にして四八四・二米以上、時間にして二九秒以上、南方の地点にあつたこと、即ち前同二四三列車が脱線顛覆して完全停止してから、これに右二四六列車が、衝突するまでの間におけるいわゆる時隔は、二九秒以上あつたことが明らかである。第二に、被告人杉山は、本件事故発生当時における自己の行動について、(a)前記二四三列車が脱線顛覆したのを見て、少しの間、呆然となり、(b)次いで、前記南箱番内に立ち入り、(c)同箱番内から駅舎に対し電話をかけ、(d)同箱番内から該架電中、右二四六列車の進行し来る状況を現認した旨供述している。ところで、同被告人が右の架電に要した時分については、この点に関する同被告人の前記検察官に対する供述調書によれば、一〇秒ないし二〇秒を要したというのであり、原審公判調書中の同被告人の供述記載によれば、「右電話機のハンドルを四、五回廻した位であるからその時分は検察官に対して述べた一〇秒ないし二〇秒より短い」というのであるけれども、原審第七一回公判調書中の証人滝貞夫の供述記載によれば、「被告人杉山に対し、実際に、右電話のハンドルを廻す動作をさせ、同ハンドルを廻していた間の時間を測定する実験を二度やらせてみたが、二回共に、同じ一七秒のタイムが出た」というのであるから、被告人杉山が右の架電に一七秒を要したと認めるのが相当である。なお、被告人杉山が前記二四三列車の顛覆を見て、しばし呆然となつた時間は、最小限度三秒以上、その後、同被告人が前記南箱番内に立ち入るまでの時間は二秒より短かくないことは経験則上明らかである。従つて右の架電に要した時間約一七秒、同被告人が右二四三列車の顛覆を目前に見て、しばし呆然となつた時間三秒以上、および前記南箱番内に立ち入るまでの時間約二秒を合計した約二二秒を経過してから、はじめて、同被告人は前記二四六列車の進行して来ることを現認しているのである。そして、同被告人が右二四六列車を現認した際における同列車の進行位置は、原審第七一回公判調書中の証人滝貞夫、同中西正彦の各供述記載中、「昭和三一年一〇月二五日夜、被告人杉山に前記南箱番内から、当日の上り二四六列車を利用して、同被告人が本件当時見た際における前同二四六列車の位置を指示させて測定したところ、それは上り線における遠方信号機から北方約一五米の地点であつた」旨の部分により、上り線における遠方信号機北方一五米、従つて本件衝突地点の南方三四九・二米であつて、その間を、前同二四六列車が、時速六〇粁で走行したとして、その走行に約二一秒を要する地点であり、いわゆる時隔は、先の二二秒に右約二一秒を加えた約四三秒であることが明らかであると主張する。

たしかに、被告人杉山の右供述記載は、本件事故発生当時、同被告人が所在した前記南箱番から、右二四六列車の前照灯の光芒を最初に現認し得る地点および同被告人が現実に、右列車の前照灯を認めた地点の距離関係について、客観的裏付けがある点で、相当高度の信用性を有するものと認められる。然しながら、本項の冒頭においても説示したとおり、本件事故に直面し、緊迫した状況下におかれた被告人杉山の認識、記憶を過大評価することは危険であつて、その意味で、同被告人が前記二四三列車の顛覆を目前に見て、しばし呆然となつた時間、次いで前記箱番に立ち入るまでの時間および架電に要した時間等は、いずれも主観的な感じ、もしくは第三者の臆測に過ぎず、特に厳密な客観的根拠を有するものではないから、これを無条件に受けいれることはできない。のみならず、前記の如く被告人杉山の検察官に対する供述調書中には、同被告人の供述として、同被告人は、右二四三列車の脱線顛覆を目撃して、しばし呆然となつた後、前記二四六列車の方を見たが、まだ同列車の前照灯も見えなかつた旨の記載が存するけれども、原審公判調書中、同人の供述として、同人は六軒駅駅舎へ電話をかけるため、電話機のハンドルを廻していた間に、何気なく南の方を見たところ、右二四六列車のライトが見えた旨の記載があり、これらによれば、同被告人は、果して、前記二四三列車顛覆後、間もなく、右二四六列車の方向を見て、同列車の前照灯が未だ視界に入つていないことを確認したか否か必ずしも明確でない。更に同被告人が、最初に右二四六列車の前照灯を認めた際における同列車の進行位置についても、それが間違いなく、上り線における遠方信号機の北方一五米の地点であつたか否かは、その当時夜間であつたことを考慮にいれると、前記の滝貞夫、同中西正彦の各供述記載に認められる実地での実験にもかかわらず(この実験の方法自体が、かなり不正確なものであると認められる)なお疑問を挾む余地が存するのである。

次に前記前田晋一の昭和三一年一一月二九日付検察官に対する供述調書中、同人の供述として、「私はビスモーターで帰宅途中、三雲村小津部落の南端西側の毛利某宅を通り抜けた頃(A点と仮称)、右側の参宮線の方を眺めたところ、私とほとんど並行して、前記二四三列車の機関車が相当の速力で南進して行くのを見た。そして私は、そのまま旧国道を進み、西側の小野某という一軒家の北端にさしかかろうとしたとき(B点と仮称)、私を追い越して南進していた前述の二四三列車が急に停車して、蒸気を吹き出し、喘ぐようなヒユツヒユツという音を出し、機関車の車輪から吹き出したと思われる蒸気が、もうもうと、列車の高さの倍位の高さに立ち上るのが見えたので、私は変な所で急に止つたなと不思議に思いながら、速度を時速三〇粁の半分位に落し、そのまま南進したが、ヒユツヒユツという音が続いているので気になり、エンジンをかけたまま停車し(C点と仮称)、片足を地につけて、一〇秒余り、その列車を見た。そのとき、ひよいと三渡中学校の校庭をすかして、三渡川鉄橋の方を眺めたところ、丁度、二四六列車の機関車前部が、三渡川鉄橋北詰を渡り切ろうとしているのを見た。私は、それから、また時速一六、七粁の速度で、自宅の方に南進して、三渡中学校東南角(D点と仮称)に来たとき、前記二四三列車が停車している辺りから、ホーという汽笛の音を聞いたので、事故が起きたなと直感した」旨の記載がある。そして検察官作成の昭和三一年一一月二九日付実況見分調書によれば、右のB点、C点間は約一三〇米、C点D点間は約七五米で、右実況見分調書および前田晋一の右検察官に対する供述調書の各記載によれば、同人が右のB点(二四三列車の停車時点)からD点(二四三列車と二四六列車の衝突時点)までを走行するに要した時間は約五七秒であるから、前記衝突地点D点から、同人がいわゆる前記の衝突音と思われる音を聞いたB点までの音速(秒速約三四〇米として)一秒を差し引くと、いわゆる前記時隔は約五六秒ということになる。所論は、同人の右供述内容が、極めて明確な基点を有する行動に基づくものであり、然も、その供述は、同人が、本件事故発生後、一ヶ月余経過したに過ぎない昭和三一年一一月二九日における新鮮な記憶の下になしたものであるばかりでなく、同人は、本件事故につき、全くの第三者で、身の危険を感ずることもなく、意識の不安定や、切迫緊張した状況にもなかつたので、同人の右供述内容は十分に信用し得るものであると主張する。然しながら、右前田晋一の当審における証人尋問調書中の供述記載によれば、右事故発生当時、同人が運転していたビスモーターには、速度計がついていなかつたことが認められるから、同人の前記検察官に対する供述調書における供述記載中、ビスモーターの速度に関する部分は、単に、同人の主観的な「勘」によるものに過ぎず、また同人が、右のC点において、片足を地につけて、前記二四三列車を見ていた時間が一〇秒余りというのも、客観的根拠のない「感じ」を表現したものに過ぎない。従つて同人の右時隔に関する前記供述内容も必ずしも正確なものとは断じがたいのである。

本件事故発生当時の前記二四三列車の列車車掌であつた水谷藤夫は、昭和三一年一一月一一日付および同年同月一二日付検察官に対する各供述調書において、「私が前同列車最後部客車の一番後にある車掌室を出ようとしたとき、同列車が急制動をかけたので、私は、機関士が通票授器から通票を取りそこなつて、急制動をかけたものと思い、両足に力を入れて、よろけないように身体を支えた。同列車が急制動で完全に止つてから、緩急車窓辺りから、先ず車内の様子を見たところ、後部から四つ目位の座席にいた女の乗客が、小さい子供を負うて立ちかけるのを見た。それから私は、後のデツキに出る所の戸が閉つていたので、それを開け、更に乗降口のドアを内側に開き、外に出ようと思つたが、明るい車内から、暗い所に飛び降りなければならないので、危いと思い、下を確めたうえで飛び降り、そこで客車の窓の明りで、自分の時計を見たところ、一八時二一分台で(二一分を何秒かは過ぎていた)、それから私は、列車の左側を前の方に向つて、暗い所を、前を見たり、足許に注意しながら、客車一両位(約二〇米)歩いて行つたとき、『どーん』という音を聞いた。右二四三列車が止つてから時計を見たまでの私の動作は、これを今やつてみると、早目にやつて一三秒、それよりゆつくりやつて二〇秒、もつとゆつくりやつて二五秒位かかるが、本件事故発生当時の動作では、この二〇秒かかつた動作が大体間違いない。客車一両分を歩く時間は、これを今やつて見ると一六、七秒かかる。従つて、右二四三列車が止つてから、二四六列車と衝突するまでの時間は三〇秒ないし三七秒が最も真実に近い時分である」旨供述している。所論は、右水谷藤夫が前記二四三列車が停止後、同列車を降りた後、客車一両分を歩くのに一六、七秒を要した旨の供述内容は、その当時、車外が既に暗く、足許も定かでないうえ、その場所も足許の悪い線路脇であつて、敏速に行動し得る客観的状況になかつたこと、および同人の行動が、緊急事態に対応するための敏速な行動ではなく、単に通票の授受を誤つた程度にしか考えていなかつたうえでの行動であつたこと等を総合すると、極めて合理性があり、白昼、路面状況の極めて良好な道路上で約二〇米を歩行したとしても、十数秒を要することは日常の体験上明らかであるが、まして本件事故現場の客観的状況を考慮すると、右歩行に一六、七秒を要したことは当然というべく、更に右供述内容によれば、同人が時計を見たときは一八時二一分台、即ち一八時二一分五九秒前であつたことが認められ、右二四六列車が衝突した時刻は、検察官主張によれば前記の如く一八時二二分二六秒であるから、前同人が時計を見たときから、右衝突までの時間が二七秒以上であることは極めて明瞭であり、この点につき、同人は一七秒位と供述するけれども、これは、同人の行動を考慮に容れての供述ではあるが、主として同人の「勘」に頼つて想定された時間であつて、正確度が低く、時計によつて測定された時間の正確度には及ぶべくもなく、この二七秒以上に、右二四三列車の停車時から同人が時計を見たまでの時間一三秒ないし二〇秒を加えれば、優に四〇秒以上になるのであつて、同人の供述によつても、前記時隔を四〇秒以上であると認めるのが相当であると主張する。然しながら、所論は、その主張自体によつて、右水谷藤夫の「勘」に頼つて想定された時間である前記二四三列車が停止してから、同人が、同列車最後部客車を下車し、時計を見たままでの一三秒ないし二〇秒および、同人が客車一両分を歩くのに要した一六、七秒が、いずれも、その正確性に問題があることを自認している。のみならず、所論が、白昼、路面状況の良好な道路を歩くのと異なり、本件事故現場の客観的状況を考慮すれば、同人が客車一両分である二〇米の歩行に一七、八秒を要したのは当然であるとしながら、一転して、同人が時計を見たとき一八時二一分台であつたことから、同人が右二〇米を歩行するのに要した時間は実際は、二七秒以上であつたとするのは、恣意的の感を免れない。経験則からいつても、如何に暗く、足許が悪いとはいえ、二〇米の歩行に二七秒以上も要するとは、とうてい考えられない。その意味で、前記二四三列車が停止後、右二四六列車が、これに衝突するまでの間における右水谷藤夫の行動の途中、同人が時計により時間を確認したという事実は、必ずしも、右時隔に関する同人の供述内容の証明力を強化するものではないのである。右に検討した如く、比較的客観性に富むと思われる前記の被告人杉山、前田晋一および水谷藤夫の各供述記載といえども、全面的な信頼を置くには足りない。然も駅側職員、右二四三列車の機関士、車掌、その乗客および本件事故の目撃者ら本件事故関係者の前記時隔に関する各供述内容は、短かきは一二、三秒から長きは二、三分に至るまで、その間に種々差異がある。秒単位の時間を以て、被告人らの過失責任を問う本件にあつては、五秒以上の誤差は、決して無視し得る数値ではない。更に前記の井面きく子の供述記載によれば、右時隔は一〇秒余であり(所論は、同女が約三四米を走るのに一〇秒を要した旨の前記検証調書中の記載につき、足許の暗くなつていた当時の状況からして、信じがたく、従つてこれを基礎として算出された一〇秒余の時隔も支持できないと論難するが、所論指摘の条件を考慮に容れても、同女が右距離を走行するのに、検察官主張の如く三〇秒以上を要したとは、とうてい考えられない)、原審第五九回公判調書中証人君山博の供述記載によれば、同人は、本件事故発生当時、六軒駅から約三〇米離れた旅館で夕食中、本件事故の音響を耳にしたのであるが、前記二四三列車が脱線顛覆したと思われる音と、右二四六列車がこれに衝突したと思われる音との時隔は五秒ないし一〇秒というのであり、その当時における右二四三列車の乗客小島朗、同吉田政平、同伊藤啓助は、それぞれ、同人らの検察官に対する供述調書中に、同人らの供述として、本件事故直後に作成された同人らの検察官または警察官に対する各供述調書中においては、「右時隔を五秒ないし一〇秒であつたと述べた」旨(小島朗)、「前記二四三列車の停止と、これに対する右二四六列車の衝突は瞬間的であつたと述べた」旨(吉田政平)、「前記二四三列車が停止して間もなく、右二四六列車が、これに衝突したと述べた」旨(伊藤啓助)の各記載が存する。以上の各証拠を比較考量するとき、本件事故関係者らの体験的感覚から、いわゆる時隔を、検察官主張の如く三〇秒以上四〇秒余とし、あるいは原判決認定の如く、これを約二〇秒と確定することは困難である。右時隔に関する各証拠中、証明力において、秀れていると認められる前記の被告人杉山、同青、水谷藤夫、日高上らの各供述記載を中心に考察すると、右時隔は三〇秒前後ではなかつたかと推定される蓋然性が大きいのであるが、なお、そこに前記の如く合理的疑を容れる余地が存し、これを以て、確固不動の時隔と断定することに躊躇を禁ずることができない。

(3)  右に述べた前記の二四三、二四六の両列車の所定運転時刻および本件事故関係者らの体験的感覚の両側面からの時隔に関する考察を総合検討すると、結局本件においては、秒単位で時隔を確定することは不可能である。従つて右時隔を三一秒以上四〇秒余とする論旨は採用できない(なお右時隔を約二〇秒と断定した原判決には、事実を誤認した違法があるが、後記の如く原判決は、被告人別所、同四ツ谷、同杉山について、その業務上の過失責任を否定しており、その結論において正当であるから、右違法は判決に影響をおよぼすものではないというべきである)。

五、検察官の控訴趣意第二点、被告人別所、同四ツ谷、同杉山に対する業務上の注意義務認定に関する原判決の事実の誤認ならびに法令の解釈適用の誤について。

第一、被告人別所、同四ツ谷に対する業務上の注意義務に関する原判決の誤謬について。

(一)  所論は、要するに、原判決は、検察官の「1、本件のような特殊状況下(前記の二四三、二四六の両列車の六軒駅行き違い、変更、臨時停車)にあつて、右二四三列車の入駅を待機する場合には、右の被告人別所、同四ツ谷ら駅側職員としては、同列車の進行動向を、前記二四六列車との進行予定との関連において、特に細心の注意を払つて、厳格に注視し、仮に、同列車が停車を通過と誤解し、所定ダイヤどおり通過せんとするが如き気配があれば、直ちに、これに気付くとともに、右列車の安全確保の処置を講ずべく、直ちに、敏速、的確な行動を執る配慮をもつて、その入駅を待機すべき業務上の注意義務がある。

2 この注意を以て、右両被告人が、右二四三列車の進行動向を注視すれば、六軒駅下りホーム北端から南方一四米余の地点に佇立する被告人別所および同駅中心より北方一五米位の信号扱所西側前の下りホームに佇立する被告人四ツ谷らの目前を、前同列車が通過列車と同様の時速約六〇粁余の高速力のまま、然も同列車から被告人別所に手渡すべき予定の通票も手渡さず、却つて、これを通票受柱に投げかけて通過したとき、既に同列車が同駅に停車せず通過せんとしていることは十分察知され、かつ、このように通過せんとして驀進し去れば、下り安全側線に進入のうえ、同側線土砂盛を突破して脱線顛覆し、その脱線によつて、本線を支障するに至り、程なく進入し来る前記二四六列車が、これに衝突する危険も十分に予測されるのであるから、右両被告人は、右時点において、右危険の発生する高度の蓋然性ある事実を予見すべき義務があり、従つて、その時点において、右両被告人には、衝突結果の発生を防止するに必要な臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務がある。

3 然るに、右両被告人共、その義務を怠り、漫然佇立して、右二四三列車の入駅を待機し、同列車が通過しても拱手傍観して、同列車を見送るにとどめ、業務上、当然要求せられる右衝突事故発生防止のための何らの措置をも講ぜず、その義務を尽していない。仮に、右両被告人が、右義務を尽していたならば、前記の二四六列車の二四三列車への衝突と、これによる死傷の結果発生は十分回避し得たのであり、従つて右過失と、その結果発生との間には因果関係がある」旨の主張を斥け、

「1、右被告人ら駅側職員は、右二四三列車の入駅を待機する場合、本件の如き状況下にあつても、別段検察官主張の如き特別の注意義務をもつて、その入駅を待機する必要がなく、普通一般の場合と同等の注意を払えば足りる。

2 右二四三列車が、右被告人らの目前を、前記状況の下で通過して行つた事実を以て、同列車が、同駅に停車すべきを通過と誤認していることに気付くべしと要求することは、難きを求めるものであるし、安全側線の目的機能を考慮すれば、その時点においては、未だ衝突結果発生の予見義務、避止義務が発生せず、その義務は、右二四三列車の脱線顛覆の時点において発生する。

3 また、この脱線顛覆から右二四六列車衝突までの時隔は、前記認定の如く二〇秒位であるから、信号機を復位するに要する時間や、その他の事情を考慮すると、仮に、同人らが、同列車脱線顛覆後、直ちに、結果発生避止の措置をとつたとしても、本件衝突事故を避け得られず、従つて、右被告人らには拱手傍観して衝突結果の発生を避止する何らの措置をもとつていない過失があるが、その過失と結果発生との間には因果関係がない」旨の理由により、同被告人らに対して無罪を言い渡した。然しながら、原判決における前記二四三列車の入駅待機に当り要求される業務上の注意義務および衝突結果発生の予見義務と避止義務の発生時点に関する右認定は、事実を誤認し、法令の解釈を誤つた違法があり、かつ、事実を誤認して、時隔を二〇秒位と認定し、その前提の下に、仮に、避止の方法を講ずるも、衝突結果の発生を避け得られなかつたと認定したことは、事実誤認および法令の解釈を誤つた違法があるというのである。

(二)  そこで、記録を調べ、当審においてなした事実取調の結果を総合して検討すると、本件事故発生当日、前記の二四三列車と二四六列車の行き違い駅が、所定ダイヤでは松阪駅であつたが、運転整理のため、臨時に六軒駅に変更され、所定ダイヤによれば同駅を通過するはずであつた右二四三列車が、同駅に臨時停車することとなつたこと、然しこのことを、同列車の乗務員らは、津駅等において、事前に通告されておらず、右乗務員らは、六軒駅の下り線における出発、通過各信号機の臨時停車の信号現示を確認するまでの間、同駅を通過するものとして進行して来たのであり、このことを、被告人別所、同四ツ谷ら六軒駅職員は知悉していたこと、また六軒駅で、右二四三列車と行き違うべき前記二四六列車の同駅到着時刻と、同二四三列車の前同駅到着時刻との間には、極めて僅少な時隔しか存せず、このことも右被告人らは知悉していたこと、右二四三列車は六軒駅に入駅した際も減速することなく、同駅下りホーム北端(同駅駅舎中心より九六米附近)で、同列車から通票を受取るべく待機していた被告人別所、および同被告人から信号の取扱いを命ぜられて信号扱所前附近で待機していた被告人四ツ谷の目前を、時速約六〇粁で通過し、被告人別所に通票を手渡すことなく、これを同駅駅舎中心附近に立てられていた通票受器に投げ込んだまま、下り安全側線に突入し、その終端の車止め土砂盛を突破して、脱線顛覆し、その結果、同列車一両目客車の前部が、進行方向に向つて、右側に振つたため、本線を支障するに至つたこと、その後、間もなく進行して来た前記二四六列車が、右二四三列車の一両目客車と接触して、同客車を破壊、押しつぶしたため、同列車の乗客四一名が死亡し、六五名が重軽傷を負うに至つたことは、所論のとおりであり、原判決の正当に認定するところでもある。次に、六軒駅においては、下り安全側線と本線とは互に並行して、高低がなく、両線上に車両が併立した場合、その間に僅か一米位の空間しか存在しない狭隘なものであり、このことを、六軒駅職員である被告人別所、同四ツ谷らが知悉していたことも所論指摘のとおりである。

更に、前記の如く、右二四三列車が減速することなく時速約六〇粁で、然も通票を、被告人別所に手渡すことなく、被告人別所、同四ツ谷の目前を通過し、通票を、所論通票受器に投げ込んで驀進し去つた事実から、同列車が六軒駅に臨時停車することなく、所定ダイヤどおり、同駅を通過しようとしていたことを、被告人別所、同四ツ谷の両名としては、同列車が自己らが目前を通過したとき、遅くとも、同列車が停車すべき地点(原判示の如く同列車は機関車二両、客車九両を以て編成されており、各車両の長さは約二〇米であるから、全長は約二二〇米であり、同列車が、六軒駅駅舎中心を基準として、停車すべきものとすれば、その停車すべき地点は、機関車前頭部において、前同駅舎中心の南方約一〇〇米の地点である)を通過する頃には、察知し得たこと、現に被告人別所は、同列車が自己の目前を通過する際、同列車が停車せずに、所定ダイヤのとおり、前同駅を通過しようとしていることを察知した旨自認していることもまた所論のとおりである。原判決は、災害時に、道床軌条等に浸水し、列車運行に危険を来す虞のある異常の場合等は格別、通常の業務遂行等の過程においては、列車運行の安全確保に関する規定の確実な遵守がある限り、その安全は自ら保持されるのであつて、列車行き違い駅変更の場合も、その例外ではない。通過列車の行き違い駅変更は、決して稀有な事例ではなく、この程度の列車扱いのために、駅側職員に対し、検察官主張のような、通過列車が臨時停車を通過と誤解することの可能性を予見すべき特別の注意義務を求めるとすれば、駅側業務が渋滞を来し、また一面、検察官のかくの如き主張は、機関車乗務員が一般に、当然遵守さるべき信号確認をすら怠り易いものであるとの、駅側職員の機関車乗務員に対する不信感を前提とする議論であつて、かくては、列車運行業務が各担当部門の相互信頼に依拠する右業務の円滑な遂行は望み得ないと判示している。

然しながら、前記認定の如くダイヤ変更を知らない前記二四三列車の乗務員が、所定ダイヤのとおり六軒駅を通過駅と誤解する可能性は否定し得ず、とくに同列車の機関士、機関助士らとしては、列車の入駅に当つては、信号注視確認作業の外、通票事務、速度制限、対人的注意、採時等種々の作業があつて、注意力を分散しなければならない事由が存するうえ、遅延する右二四三列車は、回復運転への焦りや、前同駅が本来通過駅である故の気易さから、右信号現示に対する注視確認も怠り勝ちになる事情にあることも窺知されるのであるから、万が一にも、同列車乗務員らにおいて、停車を通過と誤解して進行することなきを保しがたく、駅側職員である被告人別所、同四ツ谷としては、かかる可能性を考慮して、その入駅を待機し、これを注視すべき注意義務が存するとしても、必ずしも難きを求めるものでないことは検察官所論のとおりである。検察官の主張は、一般に機関車乗務員らが信号確認すら怠り易いものであるとの不信感を前提とするものではなく、本件の如き特殊な状況下にあつては、機関車乗務員らが信号現示に対する注視確認を怠り、停車を通過と誤解して進行する可能性があるというに過ぎず、その意とするところは十分理解し得るのであつて、この点に関する原判決の説示は、性急に失するし、またこのような注意義務が要求されるとすれば駅側業務の渋滞を来すとの原判決の説示も誇張に過ぎる。

また、原判決は、被告人別所、同四ツ谷の両名において、機関車乗務員としての経験がないから、同被告人らの待機地点における右二四三列車の速度から、果して、同列車が停車するものか、通過するものかの判断を下すことは困難であり、同列車の機関助士であつた被告人水野が、被告人別所に通票を渡さなかつたのも、被告人別所、同四ツ谷の両名としては、被告人水野の顔を出すのが遅れたためと理解し得るとして、同列車が被告人別所、同四ツ谷の両名の目前を通過して行つた事実を以て、同列車の機関車乗務員が六軒駅を通過と誤認していることに気づくべしと要求することは難きを求めるものであると説示している。

然しながら、原判示の如く本件事故発生当時にあつて、国鉄入社以来一九年、六軒駅勤務二年の経験を持ち、同駅の予備駅務掛兼助役の地位にあつた被告人別所および、国鉄入社以来一五年、六軒駅勤務三年の経験を持ち駅務掛兼信号担務であつた被告人四ツ谷にとつて、右二四三列車の約六〇粁の速度が、停車列車のそれでなく、通過列車のそれであることの判別が不可能であつたとは、経験則に照らし、とうてい考えられない。まして同列車が、停車予定地点を過ぎたときには、このことは容易に感知し得たはずである。また前記の如く、同列車が減速することなく、通票を通票受器に投げ込んだまま、通過したにもかかわらず、なお被告人水野が顔を出し遅れたため、通票を、被告人別所に手渡さなかつたものと解することも当を失している。

ところで、所論は、更に進んで、被告人別所、同四ツ谷の両名としては、前記二四三列車が同被告人らの目前を通過する際か、遅くとも六軒駅駅舎中心にさしかかる頃には、同列車が、六軒駅を通過駅と誤解して、同駅を通過しようとしていることを察知し得た以上、その時点において、同列車が、同駅駅舎中心からその終端まで約二四四米、時速約六〇粁で走行すれば、十数秒で走破し得る、単に過走防止を目的として設置された、さして長くもない下り安全側線に突入して、その車止め土砂盛を突破して、脱線顛覆し、本線に支障を生じ、やがて入駅して来る前記二四六列車がこれに衝突し、同列車の乗客等を死傷させるに至る危険が発生する高度の蓋然性を予見すべき注意義務が生ずると主張する。

然しながら、原判示の如く通過列車の行き違い変更は必ずしも、稀有な事例ではなく、当時の六軒駅駅長北川重男は、同駅駅長として勤務した二年間に、上り列車と下り列車の松阪駅行き違いが、六軒駅行き違いに変更された事例が数回あつたこと、および前記の二四三列車と二四六列車の行き違いが、六軒駅に変更された事例を記憶しており、被告人青も、本件の場合の外、それ以前に、二回も六軒駅における行き違い変更の経験を有していた程である。従つて被告人別所、同四ツ谷には、勿論、前記認定の如く、本件の場合における特殊な状況から、前記二四三列車が、六軒駅における臨時停車を、通過と誤解して進行する可能性を考慮して、その入駅を注視すべきであり、同列車が、同被告人らの目前を通過したとき、遅くとも同列車が、六軒駅駅舎中心を過ぎた頃には、同列車が同駅を通過しようとしていることを察知し、同列車の安全確保の処置を講ずるため、直ちに、敏速、的確な行動をとる注意義務があるけれども、右の如く通過列車の行き違い変更が稀有な事例でない以上、その注意義務の具体的内容にも自ら限度があるというべきである。所論の如く、右二四三列車乗務員において、被告人別所が通票を受け取るべく前同駅下りプラツトホーム北端に待機していたにもかかわらず、臨時停車に変更されたことに気付かず、前同駅駅舎中心附近を過ぎて、漸く下り線における出発信号の停車信号に気付いたこと、そこで直ちに非常制動の措置をとつたがおよばず、通常非常制動をかけてから、一八〇米以内で停止するとされている右二四三列車を、前同駅駅舎中心から二四四・七米の長さの下り安全側線上で停止させることができず、右安全側線を越え、車止め土砂盛を突破して脱線顛覆させるに至つたこと、然も同脱線顛覆の結果、同列車の一両目客車の前部が、右側に振つたため、本線を支障するに至つたこと、更に、その後間もなく進行して来た前記二四六列車が、右一両目客車と接触して、これを破壊し、押しつぶし、同客車の乗客多数が死傷するに至つたことの各事実を、被告人別所、同四ツ谷の両名が、前記時点において、予見すべきであつたとするのは、結果論に左右された見解であつて、当時、右の二四三列車と二四六列車の各六軒駅到着時刻が接近しており、かつ同駅の下り安全側線と本線とが互に並行して高低がなく、然も、その間隔が極めて狭隘であること等、本項冒頭に認定した諸事実を考慮に容れても、明らかに難きを求めるものであり、駅側勤務員としての通常の注意能力を超えたものといわねばならない。被告人別所、同四ツ谷の両名が、右脱線顛覆した二四三列車に、前記二四六列車が衝突して、右乗客らの中から死傷者が生ずる危険を予見し、その結果発生を避止すべき注意義務は、原判決が正当に説示しているところであり、被告人別所にあつては、右二四三列車が脱線顛覆して停止した際に生じた異常火焔を見て、その脱線顛覆を察知したとき、被告人四ツ谷にあつては、前同列車が下り本線上に突然停止したことを現認したとき(それは、同列車が完全停止した時点と概ね一致するものと見て妨げないことも原判示のとおりである)に、それぞれ発生するものと解すべきである。

ところで、右衝突事故の結果発生を回避すべき義務履行の方法として、被告人別所、同四ツ谷がなすべきことは、上り線における場内、遠方の両信号機に停止信号を現示して、右二四三列車を停止させることである。そして、検察官作成の昭和三一年一一月二三日付実況見分調書によれば、右時点において、被告人別所、同四ツ谷の両名は、それぞれ信号扱所附近にいたのであるが、その場所から右信号扱所に至り、上り線における場内、遠方の両信号機のてこを操作し、進行信号の現示を停止信号の現示に復位するに要する時間は、被告人別所にあつては六秒、被告人四ツ谷にあつては五秒であり、右二四六列車の乗務員が、右信号現示に気付き、非常制動措置を講じ、これが作用するのに約七秒を要すると推定されることは原判示のとおりである。また本件事故発生当時の右二四六列車に最も近似して編成された列車が、非常制動をとり、これが有効に作用した場合(本務機関車は時速六五粁で進行)には、一八秒余を要し、約一九〇米ないし二〇〇米を進行して停止する。更に、この外に被告人別所、同四ツ谷の両名が前記避止義務履行の方法として、上り線における場内、遠方の両信号機を復位すべきであるとの決断に要する時間が計上されなければならない。この点について、原審証人北川重男は、七、八秒を要する旨述べているが、経験則上、右決断に達するのに数秒を要することは疑を容れないであろう。従つて、前記時点において、被告人別所、同四ツ谷の両名が、直ちに衝突結果避止義務を履践したとしても、右二四六列車を急停車させるには、少くとも、被告人別所にあつては合計三一秒、被告人四ツ谷にあつては合計三〇秒に、それぞれ数秒を附加した時間を要することとなる。

然るに、右二四三列車が脱線顛覆し、完全に停止してから、これに、前記二四六列車が衝突するまでに要した時隔は、前記四の(二)の(3)において説明した如く、秒単位を以て確定することができないのであるから、被告人別所、同四ツ谷の両名において、前記結果避止義務の発生した時点において、直ちに、その履践の行動を開始したとしても、本件衝突事故の発生を防止し得たと断定することはできない。右時隔を、前記四で説示した如く、最も蓋然性の高いと思われる三〇秒前後と仮定しても、同様である。

従つて被告人別所、同四ツ谷の両名において、前記二四三列車の脱線顛覆、完全停止を知つてから、本件衝突事故発生までの間、呆然自失して、何ら右事故の発生を防止すべき有効な措置をとらなかつた過失があることは所論のとおりであり、原判決も認めているところであるけれども、右に説明した如く、前同被告人両名の右過失と本件衝突事故発生との間には、因果関係がないから、同被告人両名に対して、刑事責任を問うことはできない。これと同趣旨に出でた原判決は、その結論において正当であり、所論の如き事実誤認および法令の解釈を誤つた違法はなく、論旨は採用できない。

第二、被告人杉山の業務上の注意義務に関する原判決の誤謬について。

(一)  所論は、要するに、原判決は、検察官の

「被告人杉山は、自己の直前で、前記二四三列車が安全側線の終端部に設置の車止め土砂盛を突破して、脱線顛覆するのを目撃し、やがて二四六列車が進行して来ることを知悉しており、然も右脱線顛覆から前記二四六列車が現場にさしかかるまでに四〇秒位の時隔があつたのであるから、右目撃と同時に、所携の合図灯を赤色に切り替え、これを右二四六列車に向けて振り廻しつつ、その方向に対走し、同列車の機関士に危険を知らせ、これに急停車の措置をとらしめ、以て、衝突の危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、その義務に違反した」との主張を斥け、

「1、右二四六列車の入駅を、六軒駅構内南箱番附近で待機していた被告人杉山としては、薄暮の中、約七〇米位南方に、前記二四三列車の脱線顛覆する事故を目撃しているのであるから、同列車が脱線顛覆したときには、下り安全側線と本線との間隔等より、当然に右両列車の衝突事故を予見し、その回避に努むべき業務上の注意義務がある。

2、同被告人として、右義務に基づき、右両列車の衝突を回避し得る臨機の措置として最善の方法は、駅事務室に電話で事故発生を急報し、被告人別所、同四ツ谷をして、上り線における場内、遠方の両信号機に停止信号を現示させ、以て、右二四六列車をして、停車措置をとらせること、もしくは自らが右二四六列車に対し、合図灯を振つて、危険を知らせ、以て、同列車をして停車措置をとらせることである。

3、右二四三列車の脱線顛覆と前記二四六列車の衝突までの時隔は、約二〇秒であるが、この間、被告人杉山は、六軒駅駅舎に架電して、被告人別所、同四ツ谷をして、前記のような信号を現示させようと努め、その目的達成が不可能と知るや、所携の合図灯を、赤に切り替えて、右二四六列車に合図しつつ、十数米走つている。不幸にして、衝突事故は阻止できなかつたが、右時隔中において、被告人杉山のとつた措置は、法の要求する結果避止義務を尽したものというべく、本件衝突事故の発生は、同被告人の注意義務違背に基づくものということはできない」

旨の理由により、同被告人に対して、無罪を言い渡した。

然しながら、原判決が右二四三列車の脱線顛覆による完全停止時刻と前記二四六列車の衝突時刻との時隔を約二〇秒と認定したのは、前記の如く事実誤認であり、また同被告人の前記両列車の衝突結果発生に関する予見義務ならびに避止義務の発生時点は、原判示の如く、右二四三列車が脱線顛覆して完全に停止したときではなく、同二四三列車が原判示の車止め土砂盛に高速で突入する際、あるいは、遅くとも、右車止め土砂盛を突破して転落する際に発生することは明らかであり、前同二四三列車が右車止め土砂盛始端に突入したときから、右二四六列車が衝突するまでには約四一秒、右二四三列車が前同車止め土砂盛終端を突破したときから右二四六列車が衝突するまでには約三九秒の時隔が存したことも明白である。ところで、同被告人の結果避止義務履践の方法は、検察官主張のとおり、同被告人は、右二四三列車の脱線顛覆を目撃するや、直ちに、所携の合図灯を赤色に切り替えて、これを、右二四六列車に向けて振り廻しつつ、同列車の方向に対走し、同列車の機関士に対し危険を知らせ、同機関士をして、急停車の措置をとらせることにあるか、または原判決認定の如く、先づ六軒駅駅舎に緊急電話をかけ、その目的達成が不可能なときにおいて、始めて前記の方法をとるかである。然し、本件の如く、

(1) 既に上り線における場内、遠方の両信号機が進行信号を現示しており、前記二四三列車の脱線顛覆後、僅少な時間差で、右二四六列車が、その脱線地点に進行して来る切迫した状況にあり、かつ、このことを被告人杉山は知悉していたこと、

(2) 同被告人は、その当時、合図灯を携帯していたこと、

(3) 右二四三列車顛覆当時における同被告人の所在位置は、六軒駅駅舎中心から、南方約一九一米の同駅構内所在南箱番附近の本線を支障した地点近辺であつて、前記二四六列車に対しては、他の駅員の所在位置に比し、最も近い地点にいたこと、

(4) 右南箱番内には、六軒駅駅舎事務室内に通ずる電話設備があるが、これを受ける同駅舎の電話機は、同駅舎事務室内にあるところ、右二四三列車顛覆の際には、僅か四名の駅側職員が、いずれも所定の配置についており、右駅舎事務室内は無人であつて、前記南箱番から右事務室に電話しても、直ちに、これを受信する者とて所在せず、このことも、被告人杉山は知悉していたこと、

以上の具体的状況の下にあつては、被告人杉山が、右二四三列車の脱線顛覆後、時隔僅少の間に、本線支障地点に進行して来る右二四六列車を非常停車させる方法として、合図灯を赤色にして、同列車に対走しつつ、これを打ち振り、以て同列車を停止させる手段は、極めて敏速、容易、かつ的確に停止措置をなし得て、実効を挙げ得るのに反し、前記南箱番内より六軒駅駅舎事務室に架電し、被告人四ツ谷あるいは同別所をして、上り線における場内、遠方の両信号機の信号現示を停止信号の現示に復位させるべく依頼する手段は、右二四六列車が進行して来るまでに長時間がある場合は格別、時隔僅少で、程なく進行して来る同列車を、事前に、非常停車させる措置としては、敏速、的確を失した、実効を挙げ得ない迅速な方法といわなければならず、法の要求する業務上の注意義務を履践したものとは、とうてい、いえない。被告人杉山は右二四三列車が脱線顛覆することを現認して、周章狼狽の余り、六軒駅駅事務室が無人であり、従つて、容易に相手方を呼び出し得ないことを失念し、無人の右駅事務室との間における緊急電話の架電のため、約一七秒も無為に過し、遂に、その目的を達することができず、前記二四六列車の前照灯を認めてから、合図灯を手に、前同二四六列車に向つて、約十数米の間を、極めて形式的に走つてはみたが、身の危険を感じ、すぐまた引き返して、前記南箱番に身を隠したもので、右所為は、前記二四六列車を、確実に、非常停車させようとの意図の下になされたものではなく、極めて形式的になされたに過ぎないと解される。即ち、被告人杉山が、前記の如く南方に走つた理由も、右二四六列車の光が見えて来たので狼狽し、ただ何となく、右南箱番内から飛び出して、南方に向けて走つたに過ぎないという無目的なものであり、また、その手にする合図灯も、白色灯のままか、あるいは赤色灯に切り替えたかも明らかでなく、然も、この合図灯を、前記二四六列車に対して打ち振ることもせず、単に手にさげたまま携帯していたに過ぎず、更に、この手にする合図灯の光も、前記二四六列車の方に的確に向けて示してもいないのである。このことは、右二四六列車の乗務員が、その合図灯を全く確認していない事実によつても優に認め得るところである。もし被告人杉山において、法の要求する前記合図灯による避止義務を履行しておれば、前記の如く、右二四三列車が前記車止め土砂盛を突破したとき、あるいは同車止め土砂盛に突入したときから、右二四六列車が衝突するに至るまでの間には三九秒、あるいは四一秒の時隔が存したのであるから(そのときの右二四六列車の進行位置は、上り線における遠方信号機外方三四五米あるいは三八四米の地点)、被告人杉山が、前記南箱番の前において、右合図灯を赤色にし、これを右二四六列車に対して打ち振り、停車を命じた場合、その合図灯を、同列車機関士は上り線における遠方信号機外方二三米において確認することができ、急停車のため、非常制動を講ずるに至り、そして同二四六列車が非常制動をとつた場合には、本務機関車が時速六五粁余で進行していたときでも、時間にして一八秒余、距離にして約一九〇米ないし二〇〇米で停車するのであるから、同列車が三渡川鉄橋中央待避所附近において、急制動措置を講じた場合は、上り線における場内、通過の両信号機外方(南方)において、優に停車し得て、同信号機の内方(北方)において、本線を支障していた前記二四三列車の客車に衝突することを避け得たわけである。結局原判決が被告人杉山に対して、本件事故につき、過失責任を認めなかつたのは事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

(二)  そこで、記録を調べ、当審においてなした事実取調の結果を総合して検討すると、前記二四三列車の六軒駅構内への入駅を、南箱番において待機していた被告人杉山は、前同二四三列車が下り安全側線に突入し、その終端の車止め土砂盛を突破して脱線顛覆したことを、眼前に目撃したのであるから、下り安全側線と本線との狭隘な間隔から考えて、同列車と前記二四六列車との衝突事故を予見し、その回避に努めるべき注意義務を有していたことは原判示のとおりである。

(1) 所論は、原判決が、被告人杉山の右注意義務発生時点を、右二四三列車が脱線顛覆して、完全に停止したときに求めていることに関し、同二四三列車が右車止め土砂盛終端に突入してから、同車止め土砂盛終端突破までの間に二・八秒、右終端突破から完全停止までの間に七・四秒を要しているのであるから、被告人杉山としては、右二四三列車が前同車止め土砂盛に高速で突入したとき、遅くとも、同車止め土砂盛を突破転落したときには、本件衝突結果発生につき高度の蓋然性がある事実を予見すべき義務があり、かつ、そのとき、右二四六列車の衝突の危険を未然に防止し、安全を確保する処置を講ずるため、直ちに、敏速的確な避止の行動をとらなければならない業務上の注意義務があると主張する。

然しながら、前記四の(二)の(1)の(ホ)に説示した如く、右二四三列車が、下り安全側線終端の車止め土砂盛を突破してから、完全停止に至るまでの時間算定の基礎となつた沖島喜八作成の鑑定書の記載は、絶対的に確実なものとはいい得ないのみでなく、被告人杉山が、その検察官に対する昭和三一年一〇月二四日付供述調書において、「私が前記南箱番前で待機していると、下り線における出発信号機前方で停車するものと思つていた右二四三列車が、いつも六軒駅を通過するときの快速列車の速度と、ほとんど変りのない速度で、安全側線に進入し、私の目の前を通つたので、これはえらいことをやつたなと、びつくりした。すると、その安全側線の方で、『ブボー』という音がしたので、そちらを見ると、機関車が田圃の方に落ち込んで、砂煙や蒸気、さらに、煙突からの煙等がゴチヤゴチヤになつて、高さ三間位にわたり、上り線をふさぐ位に拡がつていた」旨供述していることから明らかな如く、被告人杉山としては、右二四三列車が、前記車止め土砂盛に突入し、これを突破して顛覆し、完全に停止するまでの一連の事態を、ほとんど瞬間的な出来事として、現認しているのである。それに、同被告人が、右二四三列車が、前記車止め土砂盛に突入することを目撃して、その事態を最後まで見届け、該事故の状況を確認しようとしたとしても、それは極めて自然な心理過程であると共に、右事態から生ずると予想される危険を防止する手段を講ずべき立場にある駅勤務職員として、むしろ当然の義務であるといわねばならない。所論は、同被告人において、右二四三列車が、前記車止め土砂盛に突入したとき、あるいは、これを突破したときに、直ちに、すべてを放置して、前記二四六列車を停止させるため、所携の合図灯を赤色にして、同列車に向けて振り廻しつつ、同列車の方向に対走すべきであつたというものの如くであるが、これまた結果論に捉われる余り、実情を無視した要求というべきである。原判決が、被告人杉山の本件衝突事故の予見義務ならびに結果避止義務の発生時点を、右二四三列車が脱線顛覆した後、完全に停止したときであるとしたのは、正当である。

(2) 所論は、被告人杉山が、前記二四三列車の脱線顛覆を目撃した後に履践し、原判決が、これを是認した右二四六列車との衝突事故を避止する方法、即ち、直ちに、六軒駅事務室に、電話で、事故発生を急報することは、同事務室には、その時何人も所在していなかつたので、右事務室に架電しても、容易に相手方を呼び出すことが不可能なことが明白である以上、それが実効を挙げ得ない迂遠な方法であり、然も被告人杉山は、このことを知悉していたのであるから、同被告人の右措置は、法の要求する業務上の注意義務を履践したものとはいえないと主張する。

然しながら、本件事故発生当時、右六軒駅職員は、それぞれ担当部署に配置されて、同駅事務室内が無人であつたことは所論のとおりであるけれども、被告人四ツ谷が待機していた前記信号扱所前は、同被告人が右事務室内で鳴る電話のベルを聞き得る距離にあつたのである。また前記二四三列車の脱線顛覆を知つて、被告人別所、同四ツ谷の両名が、本件事故の現状を確認するため、その当時、右現場から最も近い場所に居合わせた被告人杉山に対し、電話で聞き合わせるため、急拠、右駅事務室内に戻つて来ることも当然予想し得るところである。加うるに、本件事故発生当時、国鉄職員に対する平素の事故対策訓練は、列車の定時運転確保優先の立場を脱却し得ず、現場確認第一主義を建前としており、続発事故防止のため、列車を直ちに停止させる、即時対応の訓練が実施されるようになつたのは、昭和三七年五月三日に起つた、いわゆる三河島駅二重衝突事故以後のことであることに徴すると、本事件発生当時、列車停止という重大な措置に出るに当つて、転轍手たる被告人杉山が、先ず上司の被告人別所、もしくは被告人四ツ谷に対し、当該事故を報告して、その指示を仰ごうとしたことは、所論指摘の状況を考慮に容れても、またそれが、不幸にして、本件において結果的には効を奏さなかつたとはいえ、必ずしも迂遠で、実効のない方法であつたと断ずることはできない。そして、被告人杉山が、前同駅事務室に架電していた時間、および、前記二四三列車の脱線顛覆、完全停止と、右二四六列車の衝突との時隔については、秒単位の時分を確定明示することができないことは、前記四の(二)の(2)の(ロ)及び四の(二)の(3)において、説示したとおりであつて、最も蓋然性の大きいと思われる三〇秒内外の時隔を仮定し、検察官主張の如く、被告人杉山が、前同駅事務室に架電中、右二四六列車の前照灯を認めた際における右列車の位置が、本件衝突地点まで、時速約六〇粁として、約二一秒を要する地点であつたとしても、前記の如く同列車が急制動をかけて停車するまでに要する時間が約二五秒であるから、被告人杉山が右列車の前照灯を認めて、直ちに、同列車に向つて、合図灯を赤色に替えたうえ、これを振りつつ対走したとしても、本件衝突事故を防止することは不可能であつたのである。この場合、被告人杉山が、右架電に要した時間は約九秒となるが、該時分も、不当に時間を徒過したものというには当らない。従つて、被告人杉山が本件においてとつた前記措置を、法の要求する結果避止義務を尽したものとして是認した原判決の判断は正当というべきである。結局、原判決には、所論の如き事実誤認および法令適用の誤りの違法がなく、論旨は採用できない。

六、職権調査による被告人青に対する量刑の検討。

職権を以て、被告人青に対する原判決の量刑の当否につき、調査検討すると、原審において取調べた各証拠、および当審における事実取調べの結果に徴すれば、本件事故の原因は、もつぱら機関車乗務員にとつて最も基本的な注意義務である信号の注視確認を怠つた本件二四三列車の乗務員、とくに、同列車の本務機関車機関士であつた被告人青の過失に帰せられること、右事故の結果、同列車および本件二四六列車の乗務員、乗客等四二名が死亡し、六六名が重軽傷を負つており、その惨状は目を掩わしめるものがあつたこと、然も右被害者の大部分は修学旅行途上の高校生で、前途春秋に富む若者達であつたこと等の情状に照らすと、原審が同被告人に対して禁錮二年の実刑を科したことは、十分首肯し得るところである。

然しながら、翻つて考えると、なるほど同被告人の本件過失は極めて重大ではあるけれども、本件事故の結果が前記の如く拡大したについては、本件二四三列車の非常制動距離が通常予期された以上に長かつたため、同列車が下り安全側線終端に達するまでに停止することができず、その車止め土砂盛を突破して脱線顛覆するに至り、然も、たまたま右顛覆の結果、同列車の一両目客車が進行方向に対して右側に振られて本線を支障し、間もなく進行し来つた本件二四六列車が、これに接触するに至る等、不運な要素も重なつていること、また相被告人別所、同四ツ谷、同杉山ら駅側職員については、前記説明の如く、その刑事責任を問うことができないけれども同被告人らに対する平素の事故対策訓練が、より周到かつ適切に行なわれ、それに基づいて、同被告人らが、より敏速かつ的確な措置を講じていたのであれば、本件衝突事故は、あるいは、これを防止し得たか、少くとも、その被害を軽減し得た可能性が存すること、さらには、本件事故後、各被害者もしくは、その遺族に対し、それぞれ、国鉄当局から、その当時としては相応額の治療費、慰藉料等が支払われ、同各当事者間に、当該事故につき、円満に示談が成立していること、被告人青は、本件事故発生当時、既に国鉄入社以来一七年、機関士としての経験一三年を重ね、その勤務成績も優秀であつたが、本件事故発生後、本線勤務を免ぜられ、駅構内における機関車の入換作業に配置転換されて、謹慎の生活を送り、その間、本件事故による各死亡者の瞑福を祈ることを忘れず、真面目に身を持し、反省改悟の念に顕著なものがあること等の諸事情が認められる。加うるに、本件事故発生以来既に、一四年近くの歳月が経過し、本件各被害者もしくは、その遺族らの感情も宥和し、本件が一般世人に与えた衝撃も漸く薄らぐに至つたと推察される。

以上、諸般の情状を彼此考量すると、本件事故発生当時の壮年の機関士から現在漸く老成円熟の域に入ろうとしているこの被告人を、今直ちに囹圄に送ることは、その家族の心情にも想を致すと、情において忍びがたいものがあり、この際、同被告人に対しては、その刑の執行を猶予して、今後一層の贖罪と職務に対する精励を期待するのが、むしろ刑政の目的にかなうものと考えられる。この意味で、原判決の被告人青に対する量刑は、現在においては、重きに過ぎるに至つたといわなければならない。

七、結論

既に前記一ないし五において説示したとおり、被告人水野の本件控訴、検察官の被告人別所、同四ツ谷、同杉山の三名に関する本件各控訴は、いずれもその理由がないので、各刑訴法三九六条により、これを棄却する。

被告人青については、右の六に述べた如き情状に鑑み、刑訴法三九三条二項、三九七条二項により、原判決中、被告人青に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において、被告人青に対する本件につき、更に判決する。

原裁判所が被告人青に対し認めた罪となるべき事実のうち、業務上過失往来妨害の点は、刑法一二九条二項、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に、業務上過失致死傷の点は各昭和四三年法律第六一号刑法の一部を改正する法律による改正前の刑法二一一条前段(刑法六条、一〇条により、右改正前の刑法二一一条適用)罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に当るが、右の各所為は一個の行為で数個の罪名にふれる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、その最も重い原判示安野吉雄に対する業務上過失致死罪の刑によつて処断することとし、その所定刑中、禁錮刑を選択し、その所定刑期範囲内で、被告人青を禁錮二年に処し、前記六の情状に鑑み、同法二五条一項を適用して、本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予し、なお刑訴法一八一条但書により、原審における訴訟費用は、同被告人に、これを負担させないこととし、当審における訴訟費用も同被告人および被告人水野の、いずれにも、これを負担させないこととする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

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